2004年08月27日

自分の言葉を持たない国民

今日の新聞で、東京都教育委員会が小中一貫校で、扶桑社というか「つくる会」の教科書が採択したとのこと。
「つくる会」の教科書がどうのというよりか、その前にすごく気になった。

「つくる会」教科書の採択反対意見で、「私のところにも多くの要請か反対か分からないものが来るが、99%が同じ文言。 この人たちは教科書を読んでいるのか」と教育委員会で国分正明委員(元文部事務次官)が述べていたらしい。

あのな。。。。たぶん、ネットでの呼びかけで、サイバーキャンペーンがあったためもあるんだろうけど、どうせ意見を出すなら、ちゃんとこの” 「つくる会」教科書”を読んだ上で、”自分の言葉”で自分の意見を入れなさいよ。
”99%、同じ文言”って、あんたねぇ、、、、、(ーー;)
もうね、、、、「つくる会」教科書が採択されたとかなんとかいうよりも、そっちの方がガックリという感じですわ。
自分の言葉がない、、、なんでもマニュアル通りのことしかできない、、、、これ自体が日本の「教育」というものの悪い影響なんだよな(笑)


ちなみに、私は扶桑社だろうが、他の会社の教科書だろうが、”教科書”というものを”教育委員会” とかいうわけわからん連中が決めてしまうこと自体が問題だと私は思っています。
なぜかというと、この反対派の人たちのような”コピペしかできない人間”を生み出すだけだから(笑)
それに、どっちが採択されようが、「政治」=「教育」という構造には変わらないわけで、これ自体が今の”おかしな日本” をつくっていると思うしね。

要は、”右向け右”の今の日本を”左向け左”にしただけなのです。これでは根本的な問題は引きずったまま、なにもかわらないのです。

それと、教科書というか”歴史”というものは、ある意味”裏表”の世界なので、日本からみるか、周りの国から見るかで、 その世界観が全然ちがってくるわけで、一概に”どっちがいいか”とは言えないと思っていたりもします。
たとえば、日本からみれば、太平洋戦争は、”アジア統一し欧米諸国に負けない世界をつくる”という構想から始まったことかもしれないが、 アジア各国からみれば、”侵略のための戦争”としかならない。また、欧米からみたら、また、別の世界観が出来てしまう。 そのそれぞれの立場によってその背景を移す鏡も全く違う訳で、見解も変わって当然なのです。
だから、その部分をちゃんとわきまえた上で”歴史”という世界を語らないと、この問題は、単なる批判合戦に終始するだけで、 発展していくことはないと思っていたりしています。

この教科書が書店に並んでいた時に読んだことがあるけど、正直、そんな感想でした。


そんなこんなで、オリンピックも終盤、、、、、相変わらず眠いです(笑)

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