2004年11月02日
いのちのゆくえ
新潟中越地震から11日目。
現地に友人が支援に入ったりしているが、少しずつ、明るい兆しが見えてきた模様。
学校も始まり、子どもたちの元気な声が聞こえてくる。
なんか、それだけでも雰囲気がガラッと変わってくる。
被災してすぐは、「ここは日本か?」と思うほどの状態だったそうで、去年の暮れにあったイランと大差ないような環境に、
被災者が押し込まれていた感じで見ていられなかったそうだ(その友人は、イランにも支援活動に入った人です)。
現在、救援物資は、必要以上に運ばれてきており、ボランティアセンターは飽和状態。
今は、その救援物資がゴミの山と化しないようにすることのほうが大変らしい。
こういう支援は大変で、事が起きてすぐの時は物資の方が断然ありがたいんだけど、後になるにつれて、
被災者の方々のニーズとはかけ離れた支援物資が運ばれてくることが多くなっていって、逆に迷惑になってしまうことが多いそうな。
やはり、後になったころの方は、お金による支援の方が効果があるみたいね。
お金だったら、地元のニーズに合わせて、化けられるしね。
新潟中越地震から、ニュースなどをみていて、どんなときでも、人と人のつながりが、なによりも大切なんだなって、改めて思った。
家や道路やモノは、災害だとかで壊れてしまえば、一発でどうしようもなくなってしまうけど、人と人のネットワークさえあれば、そんな中でも、
お互い、助け合って生きていくことができる。
道路が孤立状態になった村とかでも、畑の野菜や穀物、井戸の水をみんなで分け合って、助け合って、声を掛け合って、
苦しくても生き抜いていけている。
ある孤立した村の人が「大変だけど、みんなで助け合っていけば、なんとかなるよ」と笑い飛ばしているインタビューとかもあった。
なんか、なんだかんだ言って、人って強いなぁ、、、って思ってしまった。
制止を振り切ってイラクに入国し、イラクの武装グループに拉致された青年が、クビを切断された死体になって発見された。
武装グループが自衛隊の撤退を要求したが、それを拒否したためと思われる。
これ自体は、悲しいことなのだが、ちょっと、気になっていること。
この青年は、各国を転々と回っていて、その途中でこの事件にあったらしいが、市民団体だとかが「この青年は単なる旅行者ではなく、
イラクで苦しんでいる人の支援に入ったんだ。マスコミは、ウソを流している」とか言って、いきり立っているけど、”でたらめ”
はどっちなのか?
マスコミ?
それとも市民団体?
どうしてもこの青年を英雄のようにしたてあげ、英雄の死として盛り上げたいらしいけど、あまりに傲慢過ぎると思ってしまう。
彼が、支援で入ったのか、興味本位だけで入ったのか、俗に言う「自分探し」で入ったのかは私は知らない。
イラクに入ったその理由は、”彼”自身にしかわからないこと。
それを他人様が自分の主張を推し進める為に”身勝手に理由付け”して何になるんだ???
それこそ”彼”に失礼なんじゃないのかなぁ~。
マスコミも市民団体もこれでは目くそ鼻くそ。
それとも、市民団体というものは、”自分たちと同じカテゴリーの仲間”でないと、政府に訴えることが出来ないのかしらね?
あの時、一人の名も無き青年の”命”が危険にさらされた。そして、彼は私たちに助けを求めていた。
だから、その”命”を助けるために、政府に動いてほしかった。
新潟の市民もイラクの彼も、同等の”命”であることには変わりない。
自衛隊員であろうが、政府関係者であろうが、NGO職員であろうが、マスコミ関係者だろうが、イラク市民であろうが関係がない。
”命”は”命”。”命”は、すべて平等に考えるべき。
その”命”を助けるために、政府は、武装集団が要求していた”自衛隊撤退”をも含めた最大限の努力をしてほしかった。
でも、そうは動いてくれなかった。最後にはアメリカに振り回されただけ。だから、政府は根本的におかしい!
それで、”理由付け”は、十分だと思うのだが、、、、”命”の視点からみたら、他の理由なんて関係ないと思うんだけど、、、、
なんか、根本的に違っているんだよねぇ。。。。。
- by Nipopo
- at 22:28
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