2004年11月14日

本当は一つの世界

この記事は、あるMLで投稿したものです。

 


 

昔は、障害者クラス、要は、特殊学級というものは、ほとんどの学校で
存在していなかったそうです。障害の有無で分け隔て無く同じクラスにいて、
他のクラスメート同士で助け合って一緒に勉強したり遊んだりしていたそうです。

汚い話かもしれませんが、お漏らしなどもあったりしました。
でも、それをいやがることもなく、騒ぎ立てることなく、
他の誰かが、ぞうきんやハンカチできれいにしてあげるという光景もあったそうです。
(逆にそういうことがあったときは、みんなで守るということをしていました)

そのころ、学校に通っていた子どもたちは、それが当たり前だと思っていました。
それが自然だと思っていました。
障害のある人と一緒にいる世界ということ自体が当たり前の世界でした。


しかし、戦後、10年、20年経ったのちに、
障害者学級や特殊学級、養護学校などという施設が出来るようになりました。
障害をもった子どもたちは、自然にそこに入れられるようになりました。

そのころから、障害者と健常者の世界が別の世界になってしまいました。
交流ががっくりと少なくなってしまいました。
住む世界が全く違うようになりました。(私自身も、別の世界だと思っていました)

ですから、藤枝さんのメールに書いてあるように、実際に障害者の人と会ったとき、
どう接したらいいのか、とまどってしまうことになるそうです。

たぶん、今の大人の人のほとんどがそうでしょう。


障害者施設が、まるで障害者の社会参画支援のように、日本では言っていますが、
実際は、全く逆です。

ちなみに欧米では、現在、ほんの特殊な例以外は、そういう施設は全くありません。
(もちろん、専門病院やリハビリセンターなどはのぞきます。)
自由を重んじる欧米では、そういう施設の存在自体が「隔離」として扱われ、
法律や憲法違反になってしまうからです。

だから、障害を持った人がいること自体が当たり前の世界になって、
全く違和感なく、障害をもった人が社会にとけ込んでいます。
公共施設などにスロープなどが作られたりすることも”当たり前”です。

たしか、そういう国では、”ハンディキャップ(社会的に不利な人)”とは言わずに、
”チャレンジド(挑戦する人)”という言い方に改められているそうですね。


子どもたちが、障害をもった私をみて、お父さんやおかあさんに
「あれなに?」「変なの!」って言います。それをご両親は怒ったり、
私の方をみないように促したりしていますが、これが違うのかなと思います。

子どもが自分と違うものをみて、不思議に感じたりおかしいと笑ったりするのは、
当たり前でしょ?
それを怒ったりしたら、子どもたちはどう思うでしょう?
障害者をみるたびに、どう思うようになるでしょう。


もちろん、見られることをいやがる障害を持った人もいますが、
私は、そういう時こそ、”チャンス”だと思っています。
私は、そういう子どもたちをみたら、自分から近寄って話しかけたり、
そこまでしなくても、どうだ!と言わんばかりに、おどけたりしてみせています。

本当の意味での”バリヤフリー”を築くための。。。。本当のチャンスだと思うからです。

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