2005年6月30日

熱い、、、かな? 東京都議会選挙2005

7/3 東京都議選挙投票日です。

そう、そうなんです。
いや~、、、、なんか、忘れてしまいそうで、、、、そんな自分が怖いっす(笑)

はて、誰に票を入れようかと、色々とネットをさまよっているけど、、、、

たとえば、こんなところとか。

「JANJAN 都議選特集」
http://www.janjan.jp/election/2005tokyo_giin/list.php
(ブログもあります)

でもさぁ、、、正直、争点がよく見えないんです。
争点を見ようとしていないのか、見えていないのか、見せないようにしているのか、よくわからないけど、今年の都議選、はっきりしていない。。。。

自分としては、某都知事に「しっぽフリフリ、ここ掘れワンワン」をしない、断固として、このインチキ親父に立ち向かっていってくれる人に一票を入れたい。
あたしは、正直、この人だけは、我慢ならないのですよ、はっきり言って。
この人にべったりの人は、人間として信じられないのです。

それと、福祉・環境に対し、ちゃんと、目の行き届く人かな、やっぱり。。。。
最近、財政圧迫解消財源に福祉とかが真っ先にねらわれる傾向にあるので、ちゃんと、歯止めを効かせられる人がいい。

となると、八王子は、、、、、やっぱこの人かねぇ。。。。(公選法もあるので、名前はあえて言わないが)
下馬評では、かなり、勝ち目薄いけど。
この地域、某○○学会が強いからねぇ。。。。結果が見えちゃってるんだよねぇ。。。。大学もあるし。。。。う~む~。。。。。

これもどれも投票率次第かな。
投票率が高ければ、組織票効果が薄れる可能性大だし。

前回の都議選では、NGO活動として都議選立候補者全員に公開アンケートをやっていました。
いや、、、あの時は暑かった。。。。気温も都議選も。
ちょうど、小泉旋風が吹き荒れ始めた前後だったから。
ほんと、NGOスタッフでかなり盛り上がって、汗だくで、あちこちに出歩き、毎日、寝ずに集計をやっていた記憶があります。
その時のメールとか、取ってあるのでざっと読んで見たけど、いやぁ~、、、、、あのころは、ワシも若かったのぉ~。。。いまじゃとてもじゃないけど、、、ゲホゲホ。

2005年6月28日

ホテル・ルワンダ

怒りモード突入~~!!

最近、友達の紹介で始めたソーシャルネットワークサービス「Mixi」で、「ホテルルワンダ」というコミュニティを見つけた。

これは、映画のタイトルで、94年、ルワンダで起きたジェノサイド(民族浄化)の大虐殺事件のまっただ中、首都キガリにあった4つ星ホテルの副支配人が自らの命の危険を顧みずに始めた難民救出劇を描いた映画で、今年のアカデミー賞などにも多くノミネートされた注目作品で、あの「ミリオンダラーベイビー」と競い合ったともいうべきの評価を得ていたもの。

ホテル・ルワンダ(映画の森てんこ森より) ※注意 ネタバレ必死です
http://coda21.net/eiga3mai/text_review/HOTEL_RWANDA.htm

しかし、この映画、なぜか日本では上映されないことになってしまったため、その上映を配給会社などに求めるていくための運動を起こそうというのがこの見つけたコミュニティーらしいのです。

なんで、アカデミー賞のノミネートまでするような作品を、日本では上映されないのだろう。。。。

とか思って、色々と読んでいたら、

「残虐シーンがあり公共性的によくないから」
「女性受けが悪いし、娯楽性がないから」
「今のはやりもの(要はセカチューなどの純愛映画
)ではないから」

で、映画館が上映したがらないからなんだそうな。

はぁ~????

なんじゃそりゃ??????

そこらへんの取って付けたようなアホな作り話と一緒にするな、ゴラァ~!!
歴とした実話じゃ!!実話!!
このホテルの救出劇も、ジェノサイドの悲劇も全て、本当の世界の中心で起こったことじゃ!!
愛どころか、悲鳴すら上げられずに死んで行った人が何人いると思ってんのじゃ!!

なんなんだ、この日本という国は。
映画に対しても、作品としての質や価値よりも利益の方が大優先なのですか???

おかしいです。えぇ、えぇ、絶対に(!)おかしいです、この国は。

あのルワンダで起きたことがいったいなんだったのか。
   今度の7/2のイベントでも、このお話を講演してくれる方がいますし、JANSAとかなんとかで今までも色々と聞いてきていますが、社会基盤は徐々に回復の兆しは出てきてはいるものの、民族同士の相互不和など、今でさえ傷が癒えていない部分は多々あり、いつ癒せるのか先を見いだせない状況でもあります。

その歴史上の人間が起こしたあの大惨事を、この国は「娯楽」という言葉でかたづける気でございますかぁ~???
バカ言ってんじゃねーつぅ~の!!

  この映画には、この大惨劇の背景に誰が潜んでいたのか、誰が操っていたのか、誰があの国を見捨てようとしたのかまで、上辺面だけでなく、しっかりと書かれているそうです。
是非、この映画の日本全国での上映を希望いたします!!!
絶対にです!!

『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会HP  → http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/

関連記事: http://c-cross.cside2.com/html/bp0ri001.htm (隣人による悲劇 94年にルワンダで起こった大量虐殺を読み直す)
        http://tsublog.tsubomi.oops.jp/?eid=195531   (tsublog@theatre ホテルルワンダが上映されない!?)
        http://www.narinari.com/Nd/2005064608.html  (Narinari.com アカデミー賞ノミネートの話題作、日本での配給先が見付からず。)

2005年6月27日

補聴器2

補聴器のお話 パート2

補聴器には、大きく分けて、耳かけ式 と 耳あな式 がある。

耳かけ式は、
vita_sv38vc_01.jpgvita_sv38vc_02.jpg

耳あな式は、
vita_svxp01.jpgvita_svxp02.jpg

今、使っているのは耳あな式なのだが、先日の土曜日に修理に出し、耳かけ式をお店からお借りして、装着している。

今日、朝。
なんとも、耳の居心地が悪く、気持ちが悪いが、聞こえは、まぁ何とか良い感じ。
少し、金属音が厳しいけど。

基本的に、耳かけ式より耳あな式の方が、音がクリヤー。
しかし、重度難聴にあると、出力パワーが大きい耳かけ式のほうが良い。

と、いう感じで、会社に着き、朝一で仕事を依頼している設計メーカーに、仕事の進捗状況を聞こうと思い、電話をしようと受話器を手にとった。

。。。。と、その時だった。。。。。とんでもないことに、気がついてしまった。。。。。

「あっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1分ほどそのまま停止状態)」

耳かけ式は、電話が使えない。。。。。

耳あな式は、耳の中に集音マイクがあるため、受話器をふつうに耳に当てれば、なんていうことない。
問題なく電話が自由にできる。

しかし、耳かけ式は、耳の後ろに集音マイクがある。
しかも、耳の穴はスピーカーで完全にふさがれていて、マイクから拾った音だけしか聞こえない仕組み。

つまり、受話器のスピーカーを耳に当てても、プーともピーとも、なんにも聞こえないのである。

なんじゃこりゃ~~~~~~~~~!!!

ひぇ~。。。。。。。。

ワシ、仕事の内容柄、メールと同じくらい電話がかかってくるし、こちらからも電話をしないとならないので、「電話ができない」とは、致命傷に近い。。。。。。。

おいらに、どないしろっちゅうねん!!

。。。。と、あーでもない、こーでもない、ひっくり返してみたり、たててみたり、にらんでみたり、なんだりと、受話器と大格闘することおよそ10分ほど。
受話器のスピーカーを、無理矢理、耳の後ろの補聴器のマイクにあてがうという、なんともこっけいな格好で電話をかけると、なんとか受話器の音が聞こえるということが判明。
この格好だと受話器のマイクは遠くにあり、思いっきり大きな声でしゃべらないと相手に聞こえない。。。。。。

。。。というわけで、今日、一日、電話が来ませんようにと、ただただ祈るばかりだったとです。

なんとも、かんとも、、、、、情けない、、、、明日からどないしよう、、、、
(;>_<;)ビェェーーーン

※写真:ハーモニー補聴器株式会社 http://www.harmony-ha.com/
      ワイデックス株式会社 http://www.widexjp.co.jp/elan/

2005年6月26日

自宅にて

今日は、家でのんびりしていました。
平和関係のイベントとかも色々とあって行きたいところもあったんだけど、
最近、体調も優れない時が多かったので、こういう日も大切かなと。

つぅ~か、暑くて外に出る気になりません。。。。。もう、夏ばてでふ。。。。(ーー;

時間があったので新規のPCとの入れ替えもしたかったし、無事に親父さんへ古いPCを渡すこともできました。
10年以上も古いPCを使っていたので、かわいそうだったしね。
「かなり、楽になったよ」と言ってくれました。

そうそう、お知らせ用ブログと転載用ブログに最近1点ずつアップしてあります。

・お知らせ用ブログ

「PIECE×PEACE FESTA 2005 戦争と子ども~No More Child Soldier~」
http://www.deep-eco.org/infobrog/archives/2005/06/piecepeace_fest.html

いよいよ来週の7/2です。
戦争をしらない学生だから伝えられる平和への想いがたくさんあると思います。
学生からの平和へのメッセージを、みなさんに是非受け取ってみてください。
私もミリオンフェイスキャンペーンスタッフとして参加していますので、会場でお会いしましょう。

・転載用ブログ

「写真でみるつくる会教科書」
http://www.deep-eco.org/messageblog/archives/2005/06/post_8.html

以前、MLで流れていたものです。
「見比べてほしい」というわりには、コメントがかなり主観的で、私は好きではないですが、現役の学生さん以外、今の教科書を見る機会は無いと思いますし、今、何が教育現場で行われているかを知るきっかけにもなると思いますので、是非、目を通してみてください。そして、一人一人が、改めて考え、見つめ直していってくれればうれしいかなと、私は思います。

2005年6月25日

補聴器

今日は、補聴器の修理のために立川へ。

先週ぐらいから、突然、電源が切れて、うんともすんとも言わなくなる現象が頻繁に起き、困っていました。
仕事中に話をしたりしている最中とか、電話の最中とか、突然、音が聞こえなくなることがあり、さすがにちと問題。

朝一でサービスセンターに行って、機械を使った掃除とか、調整とか、色々とやってもらったが、結局、わからず。
サービスセンターの人曰く、「どうも、内部のメカ的な問題かもしれませんね。。。」と。
一週間ぐらい預かってもらって、工場に持って行ってもらって、徹底的に修理してもらうことにしました。

「壊れた時のために予備機をかっておいた方がいいですよ」とか、「もう古いタイプですし」とか言われたけど、30万前後もするようなもの、そう簡単に買えるわけないやん。
給料一ヶ月分でも足りない。

本当は両耳補聴器にしないとならないのに、高くて買えないから、片耳で我慢している。
結構、偏頭痛と起きるから、片耳だと大変なんだけど。

今の補聴器を買ったときも、国から補助が出るかなと申請したけど、「だめ」と言われて、でなかった。
たぶん、今だと、当時よりも、もっと審査が厳しくなったようなので、補助なんて夢のまた夢だろう。

家にいるだけなら、良いんだけど、仕事をしたり、出歩いたりしたりしているので、耳が聞こえないのは、かなり、厳しい。
この国は、自立した障害者には、ほんま、冷たい。
自立支援保護法とか言っている前に、自立した障害者に対しても、支えになってほしいよなって思う。

去年も今頃、おかしくなって見てもらって、5万円とか馬鹿高い修理代払ったっけ。
また、大きな出費がでるのかしらん。。。。。PCを新しいのを買った後なので、かなり、痛いっす。
暑い。。。こう暑いと機械も壊れる。

2005年6月24日

忘れられた戦場 ~アグネス・チャン スーダンからの報告~

昨日、会社から帰ったら、NHKBS1でBSドキュメンタリー「忘れられた戦場 ~アグネス・スーダンからの報告~」をやっていた。
日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさんが、今のスーダンに渡り、その現状を伝えていくというもの。アグネス・チャンが監修もしている番組のようだ。

20年以上もの政府と反政府の内戦状態が続き、今年に入り、やっと停戦合意に至ったスーダン。でも、今なお、散発的な紛争は続き、今まで、180万人もの難民を出し、7万人以上もの人が殺されている。
けっして衛生状態が悪いとは思えない10万人近い難民キャンプ、栄養状態の悪い子どもたち、政府軍の襲撃を受け、たくさんの子どもたちが殺され、血糊や銃弾の後が生々しく残る学校、レイプや略奪などの被害にあった人たち、あごを打ち抜かれた子ども、若い兵(たぶん、10代半ばの少年だと思う)、襲撃にあった村、そして、お墓などなどなど、、、、結構、生々しく映像として伝えていた。
ある兵士の「親兄弟を政府軍の奇襲で殺された。この恨みを晴らすまで闘い続ける」の言葉に、この国の憎悪に満ちた現状が浮き彫りになっていると思う。

でも、ここは国連などの援助が入っているから、まだ、マシだろう。
「忘れられた戦場」は、アフリカにはあちこちに存在し、未だ、支援さえ入れない危険な地域も存在する。
一体、何人が殺され、何人が難民となっているかもわかっていない場所も多数にある。

この前のスマトラ大震災で、ソマリアの海岸地域へも大津波が襲っている。
海岸沿いへ逃げ延び、そこで暮らしていた難民キャップが、この大津波で根こそぎ無くなってしまったと聞く。
しかし、だれも支援すら入れない。
ちゃんとした政府も無く、激しい戦闘が繰り返され、国連でさえ、支援に入れないでいるのだ。
世界の支援の目は、イラクなどにしか向けられていなかったのが、今までの現状だ。

でも、最近になって、アフリカの支援が叫ばれるようになり、やっと、世界の視線が注がれるようになってきて、本当に良かったと思う。
たぶん、いろんな意味で、これからだと思うし、何をし、何をしてはいけないかをちゃんと見極めながらでないと、それこそ、とんでもない方向に持って行かれることになりかねないから、この部分は、NGOなりなんなりでしっかりと誘導していうことが必要だと思います。
支援という名の再植民地では、どうしようもないですからね。

しっかし、家に帰ったら、いつも、なんだ得体の知れないバラエティ番組を見ているようなうちの母親が、珍しく、こういうマジメな番組を見ていたから驚いた。。。。。。
しかも、うちの母親もちゃんと見てるんだよな。。。。。ただ、ボケ~と見ているだけでなく。
「砂漠を緑に戻すことは出来ないの?」「他の国はどうなの?」「支援出来ていない国もあるんでしょ?」・・・・などなど、色々と質問されてしまった。
なんか、やたらと、マジメモードの母親でした。
でも、ちと、嬉しかったりする(笑)

BSドキュメンタリー「忘れられた戦場 ~アグネス・スーダンからの報告~」番組概要)
国連が「今世紀最悪の人道危機」と呼ぶ深刻な事態が、アフリカ・スーダン西部のダルフール地方で進行している。
政府と反政府組織の紛争を発端に、アラブ系遊牧民の民兵集団「ジャンジャウィード」が、焼き討ちや略奪、虐殺、レイプなどの非人道的な行為を繰り返しているというのだ。
被害により村を捨てた避難民は180万人、これまでに7万人が殺されたという。番組では、日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンに同行、ダルフールの現状をリポートする。村で一体何があったのか?なぜこのような事態が続いているのか?
アグネスは、9万人が暮らす巨大な避難民キャンプや、襲撃を受け深刻な被害を受けた村を取材し、悲惨な現実を目の当りにする。今回は、紛争当事者である反政府組織SLAや、民兵集団「ジャンジャウィード」とも接触。ダルフールで起こっている悲劇の構造を明らかにするとともに、避難民たちが直面する危機の現状を伝える。

(テレビ製作会社 (株)テムジンから転載)

2005年6月23日

勝者も敗者も

[沖縄慰霊の日]23万人の魂に 恒久平和誓う(毎日新聞)

あれから60年が流れています。
でも、今日だけは、あの60年前に戻って改めて今の日々を考える日です。

この前、NHKスペシャル「沖縄 よみがえる戦場~読谷村民2500人が語る地上戦」を見て、戦後は未だ終わらず、、、いや、終わらせてはいけないことなのだと思っています。
先日、この沖縄の激戦で勝ったはずのアメリカでさえ、この時の凄まじい惨状を体験し精神的な病で苦しんでいる元兵士が今でもたくさんいると新聞で読みました。
このことは、戦争に勝者も敗者もないということを、語っていると私は思います。

80年代初頭のずいぶん昔の映画ですが「ウォーゲーム」というアメリカ映画を見たことあります。
ネタバレになるのであらすじは書きませんが、この映画のラストは、かなり胸に響くものでした。
そう。
まさしく「戦争に勝者も敗者もいない」ということを、明瞭に示したエンディングだったのです。

この映画、一応、アカデミー賞の脚本賞とかにノミネートされた映画なので有名なのですが、日本ではどうもB級映画扱いにされていて、とても残念です。
中学生の頃、学校であった映画鑑賞会で初めて見たのですが、私の中ではベスト3に入るアメリカ映画です。

反戦映画というと、やたらと惨殺シーンやら血糊やらが出てくるし、なんだかネガティブな最後のものが多いですが、ポジティブに反戦を語った映画は、この映画ぐらいしか私は知りません。
下手な反戦映画よりも反戦していると思います。
特に血しぶきが怖くて反戦映画が見られない方や、道徳に訴えてくる押しつけがましいのはちょっと、、、という方には、チョーおすすめです。

2005年6月22日

変わってしまったのは。。。。

「希望の空へ」ブログ。
記念すべき300件目のエントリー記事です。

[特集WORLD]体操のお兄さん 3歳児の定点観測

この記事、すごく興味深かったので、掲載します。

「変わったのは子どもではなく、親の方。」

なんか、私が書いた昨日の記事にもつながってくる話のような気がします。
いや、、、、それだけでなく、あらゆる問題が、もしかしたら、ここにつながってくるのかもしれません。

「自分で考え、自分で行動する」という「自立した大人」は今後生まれてくるのでしょうか?
「自分自身に責任を持つ」ということがちゃんとできている大人は今後生まれてくるのでしょうか?

こういう「精神的な自立」ということは、このブログでも何度か書いている「自分のことをちゃんと受け止め、ちゃんと認められる。」ということにもつながってくるでしょう。

この体操のお兄さんがいう「変わってしまった親たち」。
これもまた「精神的に自立できていない大人」なのかもしれません。

2005年6月21日

ニート

東大卒の2割がニートに!?(ライブドア)

「ニート」という言葉に、私の独断と偏見。
「ニート」と「自殺」、実はそう変わりはないのではないかって思っている。
「生ある自殺」とも言うべきかな。。。。

このライブドアの記事に書いてあるように、それなりの能力を持っている人は意外に多いのに、なぜ、「ニート」になってしまうのか。
「ニート」は理想も志も結構高いという話も聞いたことがある。

たぶん、その能力や理想、志を生かせるだけの「社会」が、全く出来ていないのだろう。。。とそう思っいる。

もちろん、社会だけのせいには出来ない。若者本人の意識次第のところもあるでしょうし、それを「甘え」の一言で簡単に片づけてしまうことも出来るでしょう。
でも、もし、若者が意識を変えたところで、それを受け入れるだけの器が今の社会にあるのだろうか、と問えば、本当のところ、どうなのでしょうか?

「ニート」の若者も、本心は、そうなりたくてなったわけではないだろう。
「何かやりたい」と内心思っている人の方が、案外、多いのではないだろうか。

最近、大学生ボランティアスタッフと一緒にイベントをつくってみたり、学生主催のイベントに参加したりしているが、輝いて何かに打ち込んでいる若者は、実際、本当に多い。
「自分で考えて行動する」という面では、ちょっと、う~ん、、、と思うことはあるけど。。。。
でも、それも「あれやれ。これだめ。」で、マニュアルを読むがごとく、小さい頃から誰かの「指示」のみで行動することに完全にならされてしまったためだと思うし、これをクリヤーして、「自分の考えで動く」ことを覚えていけば、本当にパワーのある若者は多い。
なんで、このパワーを日本の社会は、うまく生かしていけないのだろうかって、、、、、、本当にここ最近、いつも思うことだったりします。

「青年よ、大志を抱け。」 とは、有名なクラーク博士の言葉。

でも、「大志」を抱いたとしても、無視され、捨てられてしまい、挙げ句の果てには、「大志」なんて抱いていたらマトモに生きてもいけないような今の世の中じゃ、、、、、「ニート」になるか、自分で自分を殺すしか道はないよなって、、、、、、
それに、本当に「大志」を抱かないといけないのは、もしかしたら、大人の方なのかもしれないしね。。。。いや、本当に。。。

2005年6月19日

おにゅ~

いや~、PCを買い換えました。

前のPCは5~6年、使ってきたんだけど、さすがに最近のソフトは重くて、まともに動かない。
ワープロのような比較的軽いソフトや古いソフトを使えばいいじゃんとも思えるが、映像作成など、結構、 いろいろと酷使するようなことをしなくてはならないことも多く、そうも、のんきなことも言っていられない。

つぅことで、ここ数ヶ月たくさん働いてきた分の残業代を注ぎ込んで、最新機種に買い換えることになりました。
自分へのご褒美の意味も込めてです。

機種はもちろんGateway
D○LLなんて、アメリカ軍のお抱え企業なんて、私には買う気になりません(笑)
本当は、イン○ルでなくAMDのCPUに、、、、って思ったんだけど、なかなか良いのがなくてね。。。
あと、Mi○ro○oftもなんとかしたい。Linux系のOSもソフトの供給をどんどんやってもらって、もっとがんばってもらわないと。

Gatewayは、前の機種から愛用。
拡張性云々とデザインに惚れて購入。
日本からGatewayが撤退したときは、どうしてくれようかと思ったけど(笑)、つい最近、日本に再上陸。
待ってて良かった~、てな気持ちで、ほんと、万歳三唱でした。

この写真が、今回買ったPC。
ちなみに、セッティングが終わったらPC机に乗っける予定。



いや、、、今回買った機種もデザインが良いし、かなり、使い勝手がいいです。

難を言えば、 PCでは普通付いているハードディスクへ読み書きするときに点滅するLEDランプが無いのでHDDが動いているのかどうかわからないこと。
あと、これは私の問題だが、梱包箱から出して写真の位置に移動するときにぶつけちゃって、 フレームが思いっきりゆがんでしまった~(T_T)

スペック的に某社の上位機種に匹敵するtご思っているんだけど、それよりも、安かった。
19インチモニターとメモリー増設を合わせても20万円いっていない。
予算30万で見込んでいたので、かなり、得した。

みなさん、おすすめですよ。Gatewayの営業マンの変わりになって営業しちゃいます。

前の機種も6年以上使っていますが、たぶん、この新機種も5年以上は、これ一台のみを愛用して使っていくつもりです。
前の機種はオヤジさんに使ってもらいたいということであげます。

マザーボードがおかしくなってしまうと、5年とかそうも言ってられないかもですが、私は、「最低5年は使い続ける」と、 そういう覚悟で買うようにしています。
1年ごと買い換えるような人もいますが、もったいないじゃんか。

物は大切にしましょう、、、、と、まぁ、そういうところです。

2005年6月18日

戦後は終わっていない

今日の夜のNHKスペシャルで、

「終戦60年企画 沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~」

というのをやっていた。

実は、AMI-Wingsのスタッフメンバーが、「PIECE×PEACE FESTA 2005 戦争と子ども~No More Child Soldier~」というイベントで、「ひめゆりの塔」という太平洋戦争末期の沖縄戦の中、生きていって惨劇にあった沖縄の人たちを描いた劇をするというので、是非、みておこうと思っていたのです。

正直、内容は、ショックの連続でした。
太平洋戦争末期、3ヶ月に及ぶ激しい沖縄戦に敗れ、アメリカ軍に捕まるぐらいならと、集団自決したガマ(沖縄でいう洞窟のこと)の話は何度か聞いたことがあるが、ここまで生々しい話を聞いたのは初めてでした。

「日本のために」と戦っていた沖縄の一般市民たち。
彼らは旧日本軍を「友軍」と呼んでいた。

しかし、その友軍と呼ばれていた旧日本軍にとって、沖縄の地と民は、本土上陸への時間稼ぎのための単なる捨てゴマにしか過ぎず、ほとんど、見捨てられた状態だった。

沖縄開戦時は、すでにほとんどの部隊を引き上げていた旧日本軍。
誰にも助けてもらえず、畳一畳に一発という激しい砲弾の中、逃げまどう沖縄の一般の人たち。
その極限の中でみたものは何だったのか。その過酷な地上戦とはどんなものだったのか。

それを、あまりの過酷さで心も体も傷つき、今まで口を閉ざし続けていた沖縄の人たちからの証言をまとめ、ドキュメンタリーとして放送したものでした。

正直、その番組を見ていて、耐えられないものがありました。
ショックで、とても胸が痛かったです。

特にショックだったのは、旧日本軍が沖縄の一般の人たちを「処刑」という形で、一つの村ごと襲撃、葬ったという話でした。
後からの証言で、「スパイ容疑」があったようですが、ろくに本当かどうかの検証も行われないまま、あっという間に処刑が決定され、旧日本軍が村を襲撃、村民を全員浜辺に整列させ、手榴弾やらなにやらで殺していったという話でした。
旧日本軍に両親を目の前で殺され、子どもを殺され、、、、この話は、本当に言葉を失いました。

沖縄の人たちは、当時のあまりに過酷な現状に、精神的なショックを受け、なかなか当時のことを証言をしてくれる人はいません。
中には、精神的な病に戦後60年間苦しめられている人もいるそうです。
番組の最後は、その旧日本軍による村への襲撃事件で、運良く生き残った2人の女性が再会するというものでしたが、見ていて涙があふれて止まりませんでした。
この事件を同時に体験し、その時の想いを素直に話せ、苦しかった想いを分かち合える人が目の前にいる。
その時の喜びとも何ともいえない気持ちは、私たちにはわからないでしょう。

戦後は、全く終わっていない、、、そして、ずっと終わらない、、、って、そう思ってしまいました。


この番組で、私はいろいろと思うことがあります。
そのことも書いてみたいと思います。

最近では、こういう話でさえも「自虐的」となってしまうらしいです。
私は、この言葉の意味がわかりません。
なんで、今まで歩んできた歴史を紐解くことが「自虐的」になるのでしょうか?

この沖縄の話や日本国内、国外で起きたあらゆる事を、自分たちの都合のいいように「自虐的」の言葉一つで片付けてしまうことは、あの時代を賢明に生きていたすべての人たちに対して失礼で卑劣なのではないかと思います。
集団自決したりして亡くなった一般の沖縄市民に対しても、それを引き起こした旧日本軍やアメリカ軍に対してもです。

一般市民はもちろんのこと、旧日本兵の人たちもアメリカ軍の人たちも、この戦争の体験で心と体に傷を負った人もたくさんいますから。
内容はどうであれ、それぞれの正義と志を心に秘めて、あの時代を賢明に生きていた人もたくさんいますから。
良くも悪くも、その時代の人たちがいたから、今の私たちがあるのですから。

そういう単純な言葉の乱用で、歩んできた歴史を曖昧にし、おかしくし、葬り去ってしまう行為は、本当にやめてほしい。

そして、アジア諸外国との関係悪化に伴い、いとも簡単に「戦争」を口にしまうような人たちにも言いたい。
この「戦争」を口にしてしまう人たちは、どこまで自分の言葉の意味の重さを理解し、責任を持って、発しているのかと言いたくなります。
この沖縄の悲劇を、もう一度、経験するだけの覚悟を持った上で、「戦争」という大勢の人の命や運命を左右しかねない重要な言葉を使ってほしいと思います。


などなど、、、、、ほんと、いろいろなことを考えてしまう番組でした。

2005年6月17日

4年という月日

今日の夜、”「世界難民の日」特別イベント~アフガニスタンからのメッセージ~”にというイベントに行ってきました。

911のテロ。
あれから約4年の月日が経ちました。
それから始まったアフガニスタン支援の今までの経緯と報告を、サンヨーホーム(株)ゲンキ地球ネットネットワーク『地球村』の3団体で行う主旨のイベントでした。
お客さんで行ったんだけど、何の成り行きなのだか、いつの間にかに音響ブースに連れて行かれ、スタッフ参加になってました(笑)


自分としても、ネットワーク『地球村』のボランティアスタッフとして、色々とアフガン支援報告会に参加したり、企画したりしてきましたが、 今回ほど、思うことが多かったイベントはなかったように思う。

アフガンでどういうことがおきたのか、
支援とはいったい何なのか、
どこへいこうとしているのか、
世界はどうなったのか、
じゃ、日本は、、、、

この3団体の方々の思いを乗せての報告だったが、色々なことを心に刻みつけた時間でした。
ネットワーク『地球村』の羽鹿さんの言っていた

「子どもたちは元々笑顔であったはず。子どもたちの笑顔を取り戻すのではなく、その元々あった笑顔が消えることのない世界をつくっていきたい。」

という言葉は、すごく、心に響きわたり、ジーンときてしまいました。


自分としても、この4年間が走馬燈のように思い出されました。

911のテロは、私にとっても大きな衝撃でした。

あれを見た瞬間、自分の中にあるものがすべて崩れ去る想いがしました。
そして、恐怖ともなんとも言えない想いが体を貫いていきました。

世界が今おかしくなっている。
一体、何がはじまったのか。。。どうなってしまうのか。

どうしよう、、、、今、何かをしなければ、世界がどこかへ行ってしまう。

そう思っていた頃、アフガニスタン支援が『地球村』で開始されることを知り、Web報告ページの作成という形でボランティア参加をしてきました。
直接、アフガンに行ったわけではなかったけど、Web作成をする中、世界と自分が色々な形で繋がっていることを感じ、自覚することができた気がしています。

これがキッカケで、自分として、日本小型武器行動ネットワーク(JANSA)AMI-Wingsの立ち上げや運営に携わる、様々な気づきと次へのキッカケを得られた活動だったと思います。


私も、日本という地から、自分の出来ることをこれからも色々とやっていきたいし、やっていくと思います。

とても、貴重な時間をこの日、体験させて頂いて、主催者の方々、本当に本当にありがとうございました。

2005年6月15日

本の虫

なんか、先日から本を買いまくっているワシ。
本棚一杯に本があるのにそれ以上買う気かってなぐらいに買い込んでいる。
たぶん、この一ヶ月の間に4万円ぐらい使っているかも。。。高い本も買っているためかもしれないが。

買ったのにまだ読破していない本
(全然手をつけていないもの、途中までのものも含む)

・自閉症裁判~レッサーパンダ帽男の「罪と罰」~ 佐藤幹夫(著)
・世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 森達也 (著)
・明日の記憶 荻原浩 (著)
・破壊~人間性の解剖~ エーリッヒ・フロム (著),
・育つ・学ぶ・癒す脳図鑑21
・統合心理学への道 ケン・ウィルバー(著)
・占領と平和 道場親信(著)
・新・心理学の基礎知識
・心と戦争 高橋哲哉 (著)
・ルポ戦争協力拒否 吉田敏浩 (著)

本屋で購入したものもあれば、インターネットで購入したものもある。
(ちなみに、私はア○ゾ○では絶対に購入しないことにしている)

でも、、、、なんか、もっと読んでいない本があったような。。。。(ーー;)
ほとんど病気だよな(爆)

いや、、、、、ワシ、本を読むのがかなり遅いんだよね。。。
じっくりと時間をかけて読まないと頭に入らない。
で、読みたい!と思って買うとこんなにため込んでしまう。

つぅわけで、ワシに本を読む時間をおくれ、誰か。。。。

2005年6月13日

夢のあと

昨日の日曜日は、久しぶりに家にいました。
なんか、ダラ~、と一日を過ごしてしまった。
やることがあったような気もするが、たまにはいいかな。

でも、やたら暑かったですね。
梅雨なんだよね。。。もう、明けてしまったような感じ。
東京都心側でやっていた市民マラソンで熱中症で20人以上倒れたとか。
こう急激に暑くなると、体がついて行けないよな。。。。


昼間、寝過ぎたため(笑)、夜、なかなか寝付けず。
テレビのスイッチを入れたら、NHKで「NHKアーカイブ」という番組をやっていました。
昔、放送した番組の再放送枠です。

NHKアーカイブ「現在の映像 ”人か鳥か”」

1967年11月に放送された、ずいぶん古い作品なんだけど、、、いや、ある意味、ショックでした。

舞台は東京湾のディズニーランドなどがある地域。
まだ、埋め立て地が少なく、京葉線や東西線すらも走っていないその頃、この地域で起こった環境保護活動を描いたドキュメンタリー番組でした。

この地域は、江戸川の河口地域になっているために干潟などが数多くあり、日本でも有数の野鳥の生息地になっていました。
シベリヤからオーストラリアまで飛んでしまうような渡り鳥など、今の日本では考えられないほどのたくさんの種類の鳥たちがこの地域で暮らしていたそうです。
しかし、1960年代に入ったころからはじまった埋め立てなどの土地開発によって、その住みかが奪われ、生息数や種類が激減。
そのため、野鳥たちを保護をしようと、当時はまだ数少なく多くは知られていなかった環境保護団体(日本鳥類保護連盟など)が中心になって湾岸開発中止を求める運動が始まっていった、というのがこの番組のあらすじでした。

開発中止を求める側、そして、開発を推し進める側、という対立線。そして、その両者それぞれの葛藤。
今、日本全国のあちこちである話がこの頃からすでにあったんだな、、、、って思ってみていたら、目を疑いたくなるような映し出されていました。

この保護活動に反対し、開発を推し進めよう立ち上がったのが、お役人さんたちや土地開発関係者ではなく、なんと、そこの地域に古くから住んでいた住民そのものでした。
野鳥の保護反対の組織を、その地域の農民や漁民などの組合や住民自治会などと団結してつくりだし、ビラ配りや立て看板などをだしたりして地域から環境団体を追い出し、開発を推進していこうと賢明に運動を展開している姿が映し出されていました。
「野鳥保護区指定反対!」「この町から野鳥を追い出そう!」「野鳥を葬れ!」などというスローガンの看板を市民があちこちに立てたり、張り出したりしている住民の姿、、、、、それを見たときには、呆然としてしまいました。


地域住民が土地開発を推し進めていて、環境保護団体と対立するという話は、実際、今でもあります。
でも、ここまで徹底して住民側が開発誘致運動を展開している姿は初めてみました。


時代は、1960年代後半の高度経済成長のまっただ中です。
猫も杓子も経済を発展させることに血眼になっていた。
あらゆるものに手をつけ、土地を開発し、経済を発展することにすべてを注ぎ込み、皆が、夢中になって、夢を見続け、追い続けていた、あの時代です。

この湾岸地域の住民たちも、その例外ではなかったでしょう。
実際、彼らは、この湾岸地域の開発によって、漁獲量が増えるとか、川の治水で農業が発展するとか、企業などの誘致が始まって今よりもずっと豊か暮らしが未来に保証されているとか、そういう事を信じ切っていたのは確かだったのです。

でも、今現在、実際に、どうなったのでしょうか。
実際にはこうなってしまいました。 → 「公害で得たもの、捨てたもの(旧版地形図の部屋より)」
漁獲量は激減し、農業は廃れ、水や空気が汚れ、第二、第三と、公害が次々に生み出されてしまいました。
この時代の開発で、本当に生活に潤いが生まれ、喜んでいる人は、今現在、一体何人いるのでしょうか。

今、この地域の住民の方々は、昔の自然豊かな町を取り戻していこうと環境保護を訴えています。
市政も条例をつくったり保護地域を指定したりすることで、市民と一緒に環境保護に歩み出そうとしています。
オイルショックや不況などが後押しし、埋め立て工事が一部凍結、市川市付近に昔ながらの干潟が残された地域もあります。

でも、昔、この空を飛んでいた野鳥たちは、ここに帰ってこられるのでしょうか?

開発で得る物より、失うものの方が多すぎます。
ですから、戻ってくるとは言い切れません。
でも、戻ってこないとも言い切れないでしょう。
一種類でも一羽でもこの地に帰ってきてくれるといいなって思います。
本当にそう思います。


あの時代は、みんな、夢に酔っていたのです。
高度経済成長という熱病に、みんなが、侵されていたのです。
だから、誰も責められません。
良くも悪くも、今があるのは、あの時代があったからです。

今、あの夢から覚めつつあります。
熱病から冷めつつあります。

あの時代にみんなが見ていた夢は、たくさんの教訓を残していってくれているはずです。
きっと、たくさんのことを私たちに教えてくれているはずです。

その教訓を、生かすのか、殺すのか、、、、、今、生きている私たちの想いにすべてがかかっている、、、、そう改めて感じた番組でした。

2005年6月11日

当ブログについて(システム変更云々)

Movable Type 3.17の提供を開始

このブログに使っているMovableTypeをV3.17のバージョンアップしました。
前のはセキュリティー的に問題があったので、そのバグフィックスとか色々と加わったみたい。
見た目には変わりないけど、再構築の処理効率があがっている感じなので、色々とテンプレートなどをいじくりまわしている私にとっては、ちと、うれしい。
古いバージョンでは、不正書き込みなどができてしまうようなので、同じブログシステムを使っている方は、是非バージョンアップを。

それと、小さな多目的BBSを右下に追加してみました。

CHOBI(ちょび)

こういうレンタルBBSは、セキュリティ面でちと「?」なのですが、面白そうなのでテストとして設置。
記事に関係ないことなどで書き込みたいことやメッセージがあったら使ってみてください。
前のもお知らせしましたが、ブログスパム対策で記事へのコメントやトラックバックに制限を加えていますので、もし、そこではじかれてしまったら、こちらを使ってみてください。
(どうも、パーソナルファイヤーウォールなどでPCのセキュリティー設定が高めなっていたりすると、ある一部の情報が、このブログの処理プログラム側に送られなくなるので、はじかれるようです。)

他にも色々とカスタマイズしていみたいところがあるんだけど、、、よくわからないでふ(笑)
少しずつ勉強しながらやっていきます。

笑顔を取り戻して

今日、友人が月に一回主催するワークショップに行ってきた。
どうやって楽しく生きていくか、どうやって人生を好転させてやっていくか、周りの人も含めて灯りを灯していくようなワクワクした生き方をしていくためのワークショップで、前の日記でも何度か書いた斎藤一人さんやヴァーチューズワークショップなど、色々な素材を使ってワークをしていきます。

実は、おとといのこともあり、このワークショップをどういう気持ちで参加しようか、色々と迷っていたのです。
参加をやめようかなとも思いました。

そんな時、カバンの上に置いてあるヴァーチューズカードが目にとまりました。

「そうだ、一枚、引いてみよう」

これは、一人一人の中に持っていると言われる美徳の力を秘める言葉52個とその意味が書いてあるカードで、それを引くことで、今の自分、昔の自分、未来の自分を映し出したり、問いかけたりするカードです。

その52枚のカードから引いた言葉は・・・・・「忠誠心」

なんだろう、、、って最初は思ったのですが、「ワークショップと主催した友だちを信じ、”忠誠心”をもって参加しなさい」という言葉に聞こえだしました

「そうだ、聞いたこと、感じたこと、全てをそのまま受け入れてみよう。」

そう決意をして、今回は参加してみました。


そういう気持ちで参加した今日のワークショップ。
全体を通して、そこでキーワードになっていると感じたこと。

それは、「ゆとり」でした。


そういえば、最近、「ゆとり」を心に感じていないことに気がつきました。

なんか、いつもギスギスしていた気がします。
なんか、心も体も、いつも、ギスギスしていた気がします。
なんか、いつもイライラとしていた気がします
なんか、何かに追われるように生活をしていた気がします。

そういえば、、、、最近、「笑顔」を忘れているな。
眉間にしわを寄せていることが多くなってきている。
朝、鏡をみて、すごい怖い顔になっているときがある。

やっぱり、自分に「ゆとり」がなくなって、もう、一杯一杯になっていたんだ。


おとといは、自分に「ゆとり」がなかった。
だから、言葉に「優しさ」が足りなくなっていた。

心のトゲトゲが、言葉の端にもトゲトゲを作っていた。
最近、仕事でもなんでも、「めんどくさい」「うるさい」が口癖になっていたかも。
口には出さないけど、自分の心の中に思っていたかも。。。いや、そう思っていた、確かに。


そんな自分の状態では、人を傷つけて当たり前だ。

「忙しい」とは「心を亡くす」と書くとはその通りだ。
ここ数ヶ月、会社でもなんでも、たくさん、働いたんだものも。
一杯、いろんな事に追われるように働いていたんだもの。
仕方ないよね。

でもね、こういう「ゆとり」って、誰から与えられることでは無いんだよね。
誰のせいでもないんだよね。
自分が見つけ、自分で作り出さないと、本当の意味での「ゆとり」ってあり得ないと思う。

時間も空間も「ゆとり」をつくろうと思えば、つくれたはず。
「ゆとり」をつくろうとしなかったのは、何を隠そうと自分でしかない。。。そう思う。


ワークショップの終わりに、みんなでこれからの自分を思いながらバーチューズカードを一枚引いてみた。

私の選んだ言葉は、・・・・「愛」

このカード、やっぱりすごいかもしれない。
いつも、的確に自分にメッセージを送ってくる。

この言葉を引いたときは、「心にゆとりをもって他人への”愛”を送ることをしなさい」というメッセージだとおもったけど、あとでもう一度考えてみたら、「自分を”愛”し、心に”ゆとり”をもちなさい。」かもって気がついた。

そうだよね、心に「ゆとり」が無ければ、「愛」なんて送れるはずないよね。

すこし、自分を愛してみようと思う。
そして、周りに愛を配ろうと思う。

いつもの「笑顔」を取り戻して、、、、、自分に、みんなに。

2005年6月10日

もう、ホント、バカ。

昨日、古い友だちから携帯へメール。

「洋服のネットショップを出すから手伝って」

実は、一昨日の調子の悪い日に携帯へ電話があったのだけど、もう、寝てたので出られなかった。
(というより、今日は勘弁して、という感じで出なかった)

昨日の夜、この友人に寝る前に電話。
どうも、アホな旦那に唆されて、ネットショップをはじめようと思い立ったが、ショップに欠かせない買い物カーゴの付け方がわからないということだったらしい。

そんなの、、、、、オイラだって、わかんないよ。。。。

ということで、ネットショップ専用のレンタルサーバーを教えた。
ヘルプとか読みながら、流れにそってやっていけば、初心者でも出来るところなので、これなら何とかなるかなと思ったのだ。

、、、が、ダメだった。
登録の仕方がわからない、レンタル料金の支払いの仕方がわからない、、、、挙げ句にはヘルプの画面がわからない、、、と色々と質問責めにあった。

この友人、「わからないところがわからない」という感じで、「教えて」というは「代わりにやって」に近い。
そのため、習得しようという気がないに等しいし、こちらが言うように動作しないとパニックになって何をやっているかもわからない。
それでなくても、電話でPCの操作を教えること自体、かなり、厳しい話なのである。

だもんだから、教える方も要領を得ないので、頭に来だして、苛ついてきた。
ついに、ぶちっ。
頭の中で何かがはじけ飛んだとたん、、、、やっちまった。。。。。一番、言ってはいけない悪魔の一言。

「うるっせ~な、めんどくさいんだよな!!」

あっ、、、しまった~。。。。この言葉を吐いた後に、我に返った。

「ごめんね、ごめんね、、、、そういわれると死にたくなる。。。」

この友人、心の病気を抱えているので、この言葉はいってはいけない禁句だった。
。。。そう泣きそうな声で言われて、私には返す言葉なんてありゃしません。

深呼吸して精神を押さえ込んで、なんとか、レンタルサーバーへのドメイン登録申請がおわった。
この時点で「ドメインがDNSに反映されるのに時間がかかるはずだから、次はあとにしよう」と電話を切った。

電話を切った後、猛烈な自己険悪。。。。。。。

正直、最近、調子がさえないので、自分に対しても余裕が全くなし。
特に夜は、もう寝るだけにしてくれ状態。

でも、こんなことは言い訳にならないよな。。。
こういう自分の精神状態を知っているくせに、電話をしたオイラのミス。
相手が心の病気を持っているし、長いつきあいなんだから、こうなる事はとうの昔にわかっていたはずだ。

最悪。。。。もう、ホント、オイラの大バカ。。。。。逝ってくる(藁

2005年6月 9日

彼らはどうなるのでしょう?

いや~、昨日の夜、すごかったですね。
FIFAドイツ大会アジア最終予選B組 北朝鮮 VS 日本。
なんだかんだ言って、見ていました。
今日の朝のニュースも、TVもラジオもそれ一色でした。

無観客試合っていうのも面白いジャン。
懸念されていたスコールにも遭わずによかった。
しかし、芝生はヤケに深かったように見えたけども。

まぁ、前半戦は、指揮系統がめちゃめちゃで流れがなく、なにやってんだかという感じでしたが、後半戦は大黒選手が入ってから持ち直したという感じでしょうか。
一応、ドイツ行きが決まったわけですが、これで、次のイラン戦に勝てれば、万々歳というところでしょう。

ところで、一つ、気がかり。

北朝鮮の選手たちはどうなってしまうのでしょうか?
罰として財産没収とか重労働を課せられるとか、色々とマスコミが騒いでいますが、どうなんでしょう?

これらの話が本当かどうかはしらないけど、今までろくに国際試合に出たことがないのだからこの結果は仕方ないと思う。
前の予選試合で不正行為があったことは事実だったにせよ、あらゆる面で不利な立場であったはずの北朝鮮選手が、ここまでしっかりと闘ってこられたのですから、拍手を送りたいほど立派だったと私は思うんだけどね。。。。

確か、J1かJ2の選手が、今、北朝鮮代表として参加している人がいるはずですよね?
日本に戻ってこられると良いのですが。。。。日本にもファンが多いようですし、、、、どうなんでしょう。。。ねぇ、金正日さん?

2005年6月 8日

「時間」という欲望

昨日の朝から体調が悪く、ボケボケです。
頭が極端に重たい。。。なんでだろう。今日も帰ったら、寝ます。

朝日新聞の東京版夕刊で、今週から「1分半」というコラム連載が始まった。

「1分半」

あの尼崎の電車脱線事故の原因の1つになったあの”時間”。

いつからなのだろう。
日本人が、ここまで”時間”というものに追われるよう生きるようになったのは。

太陽や月の動きで”時間”というものを知った頃、人間と時間は友だちだった気がする。
でも、今はどうなのだろうか。
一昨日、昨日とこのコラム読んでいて、なんか今の世の中のむなしさを感じてしまった。


このコラムでも書いていたけど、明治や大正の時代の電車は、時間通りに駅に車両があること自体が珍しく、遅れて当たり前の代物だった。
1秒の狂いもない「正確さ」を売り物にしたのは、昭和になってから。

その頃、欧米には”時間にルーズな日本人”と笑われていたそうだ。
でも、それが”日本”という国の当たり前の日常でしかなかった。

今では、全く逆の事が起きている。

”時間”が事故になったのは、今回ばかりではなかったはず。
これまで何度も事件になり、事故になっていた。
でも、日本人はそれを”時間”と共に忘れ、毎秒単位で追われるように生きている。
今の日本人から”時間”を取り上げたら、たぶん、誰も生きていけないだろう。

”時間”という欲望に囚われてしまった日本。

今回の朝日新聞のコラムは、今の日本を問い直す貴重な内容だと思う。
朝日新聞を取っていない人とかには厳しいことかもしれませんが、友人とかにもらって、是非、読んでみて欲しいと思います。

もし、自由になる”1分半”が与えられたとしたら、自分はどうするのだろうか。
立ち止まれるのか。。。。それとも、今まで通り、走り回ってしまうのだろうか。。。。

2005年6月 6日

私自身を受け入れよう -「ADHDとして生きる」を読んで-

「私は、このままの私を受け入れよう」

序章の2ページ目に書かれたこの言葉。この一行を読んだだけで、胸が詰まるような、なんとも言えないような気持ちになって、 涙が止まらなくなった。この本の著者が、どんな想いで書いたか、とてもわかるような気がしたから。。。。。

5/29のイベントも終わり、一息ついて時間ができはじめたので、 少しずつではあるけど読みたいのに読まずにため込んでいた本を一つ一つ丁寧に紐解きはじめている。

その一冊が、この本だった。

「ADHDとして生きる ~おりこうでない私の半生~」
石川真理子著 診断と治療社 ¥2,500(税抜)
ISBN4-7878-1439-7 セブンアンドワイ  Amazon.com

去年からあることをキッカケにADHDという病気に興味を持ち始めていた。

ADHDという病気自体は、 書物やテレビで知っていたし、世の中においてまだまだ認知度が低く、社会的に追い遣られ、 深刻な状況に陥っている患者さんもいるという話は知っていた。でも、ある友だちが、このADHDで今まで苦しんで生きてきたことを知り、 表面的な事ばかりではなく、しっかりとした知識を入れていきたい、そして一緒に考えていきたい。。。。そう思っていました。

しかし、なかなか本を買って読む余裕もなく、時間だけが過ぎ、読みたいという気持ちだけが、心の中でジタバタ。今年になり、 書評がやたらと評判が高かったので、ネットで注文、買ってみたのです。

 

これは、ADHDと大人になってから診断を受けた著者の今までの半生を振り返りりつつ、ADHDとはなにか、どんな病気なのかといった専門知識や、普段の生活の中でどうしていけばいいかなどのノウハウが、著者の実体験をふまえながら紹介されており、ADHDの家族や患者自身などの身近に感じている方、そして、そうでない人全てに向けて書かれた、かなり読みやすくわかりやすい本でした。

 

私自身はADHDではない (たぶん)。
でも、障害を持って生きてきて、周りとは違う自分に苦しめられ、その周りに必死に追いつこうとしていた辛さ、 周りに合わせようと架空の自分を演じてしまっていた自分の情けなさと苦しさ、、、、、なんか、そんな色々な事が、 若かった頃の自分とオーバーラップしていた。
しかも、ADHDという言葉が、 この世に歩き出しはじめたのは、つい最近の話。この著者が若かった頃なんて、まだ誰もしらない状態。 病気なのかなんなのかもさっぱりわからず、悶々とする想いの中で、私にもわかり得ない苦しみをも抱えて、もがき苦しみながら、 必死に生きてきたのかと想うと、胸が張り裂けそうな気持ちで一杯になってしまい、読んでいる間、ずっと、ずっと、涙が止まりませんでした。

でも、この著者は、ADHDという言葉を前向きに今はとらえている。 ADHDだからこそできることがあり、 ADHDだからこそ感じられることがあり、 ADHDだからこそ体験できることがあり、そして、 ADHDがいるからこそ、世の中が豊かになり、多彩になっていけるんだと。

なんか、この言葉は、ADHDだけでなく、障害者、、、いや、健常者も、、、 、その全ての人の一人一人に言える言葉なんじゃないかなという気がしています。だれ一人欠けても、この世の中は成り立たない。 この世の中を動かすのに、いらない人なんて、誰一人もいないんだって。

この本で、著者は最後にこんな言葉で締めくくっています。

ADHDであるために苦しんでいる人はもちろん、 自分らしさを封じ込めて生きるすべての人に、”自分の本当の姿をきちんと認めて生きていく”ことを願っている。」

この言葉は、たぶん、前の記事に書いた自殺の話にもつながってくるでしょうね。

”自分の本当の姿をきちんと認めて生きていく”

そういった”多様性”をお互いが、そして自分が、認めあえる世界であって欲しいし、そうなって欲しいしって、そうしていくことが、今、とても大切なことなんだって。そう、改めて気づかせてくれる本でした。

ADHDの人も、そうでない人も、是非、読んでみてください。ある意味、かなり、考え方が変わると思います。

2005年6月 5日

明日に向けての一歩目

今日は、5/29に開かれたイベントの反省会を兼ねたAMI-Wingsミーティングでした。

イベントの帰り、お客様から頂いたアンケートの結果を、みんなでじっくりと読んでいったけど、なんか驚いた。

今までにないアンケート回収率だった。
入場したお客様に対して9割のアンケートが返ってきていた。
普通、どんなにがんばっても6割とか、7割とか。
こんな回収率は初めて見た。

それとアンケートの内容もすごくよかった。
なんかしらないけど、みんなポジティブな意見が多く、これをやりたい、あれもやりたい、何かしたいという意見が多かったです。
もちろん、批判もありました。鋭い指摘も。
会場つくりや内容などで、しまった~と思うところもあり、反省でした。

もちろん、100%のお客様に好評を頂くことは出来ないかもしれないけど、そこに少しでも近づけていくことは常に大切だと思うし、こういう批判的な意見の方が重要なことがすごく多いように思います。
ですから、こういう時のアンケートは、どんなことであっても、しっかりと自分の意見を書いてくれた方が、主催者側としてはとても嬉しいのです。

もちろん、凹んで一ヶ月ぐらい、死んでる時もあるけど。。。。去年の11月のJANSAのイベントの時は自分の不器用さと不甲斐なさにしばし凹んでいました。。。。。。(-_-;)

その他にも、AMI-Wingsとして、支援活動のことをどう薦めていくか、国内啓発をどうやっていくか、他との連携など、色々と話していました。
内容が多すぎて、この日では話せなかったことがたくさんあった気がする。
盛り上がりすぎて、時間が足りなかったなぁー。


色々とあったけど、自分としてはそれが楽しかったと思う。
そして、今回のイベントは、すばらしいスタートラインに立つことができたし、次への大きな架け橋となってくれたと思う。
これもお客様あってのことだし、石先生やスタッフがいたからこそ。

国内ではワークショップとか色々とやっていきます。すでに、計画は進行中です。
国外でもアフリカを通して、世界を見つめながら、支援とはなにかを、もう一度立ち返りながらやっていきたいと思っています。
なんか、とてつもないことが起きそうな予感がしています。


☆AMI-Wings とは・・・
 すべての人を人類という家族とみなし、地球と生きもののすべてを思いやり、「ポジティブな心で世界を創る」ピースメーカーとして行動する仲間たちのことです。


このブログでも、活動のことを色々と語っていきたいし、AMI-Wingsの公式Webでも伝えていきたいと思います。


ミーティングの帰り、スコールのような土砂降りの雨。
カッパを持っていってよかったけど、ひぇ~んでした(笑)

2005年6月 4日

ブログ引っ越し終了

今年三月、前から借りていたレンタルサーバDeepeco.org」にブログを走らせはじめ、今日、なんとか楽天日記からの引っ越しが終了しました。
コメントやトラックバックまでは持ってこられませんでしたが、記事エントリーは全て、こちらの方に引っ越しできました。

色々と疲れ果て、自分自身の本来の表現、言葉を見失いかけたとき、ブログをはじめました。
自分とはなんだったのか。。。。その自分の言葉、自分の姿を再確認するために。。。。

それから、もう2年。
引っ越し作業をやりながら、過去ログを見ていて、色々なことがあったなぁーって思いました。
途中、精神状態が追いつかなくて、ブログを休止していたときもありましたが、、、、
その時の想いも少しだけでも書いておけば良かったな、、、、、って今になって後悔です。

というわけで、もうすぐ、300記事です。
平均で、3日に1記事は書いていることになるのかな。
次は、掲示板を走らせたい。
ブログで走らせられる掲示板ってなんかないかな。。。。

まぁ、そんなこんなで、「希望の空へ」をこれからもよろしくお願い致します。

2005年6月 3日

自分の信念で

新入社員の65%が「行う」 良心に反する仕事(共同通信)

 上司から良心に反する仕事を指示された場合、会社の利益につながればその仕事を「行う」「恐らく行う」と回答した新入社員が、合計65%に上ることが日本能率協会(東京)が3日発表した調査で分かった。
 調査は今年3月末から4月中旬にかけて実施。同協会は「企業人としての自覚がない時期で、就職優先といった意識が優先したのではないか」と分析し、コンプライアンス(法令順守)教育の強化の必要性を指摘している。

 調査によると全体の15・8%が「会社の利益につながるのであれば行う」48・8%が「恐らく行う」と回答。男女別では「行う」と答えた男性が18・6%で、女性では8・3%。「恐らく行う」は男性46・8%に対し、女性は54・0%だった。

若い内は、良心というか、自分に正直に、自分の信念で仕事をした方がいい。
失敗したって、いくらでも後戻りができる。
後になってから、「あのとき、こうすればよかった。こうしたかった。」って、後悔の念に苦しむだけ。

一人一人が自分の信念のために仕事をしていくことが、それが会社のためになり、社会のためになるというのが、本来の姿だと私は思っている。

これが、理想主義とか言われ、笑うやつもいるかもしれないが、それでいいじゃないか。
現実主義で、何か世の中が変わることがあったか?
良くなったことがあったか?

一人一人が、自分の理想を持たなくなり、現実に流されて生きるようになったから、今の社会を生み出したのではないだろうか。
最近、そんなことをつくづく思うようになった。

理想主義、今の世の中にとって、たまらなくかっこいい生き方。

昨今の事件、事故。
あれがなんであったか、思い出して欲しい。

どうせ、一日の半分以上を会社に拘束されてしまうんだ。
その貴重な時間を有効に使おうではないか。

2005年6月 2日

「生きる」という言葉の希薄さ

[自殺者数]04年は3万2325人 7年連続年間3万人台(毎日新聞)

なんか、毎年この時期になると、こういう日記を書いている気がするな。
いつまで、この状態が続くのだろうという感じです。

最近、練炭などによるネット集団自殺というケースも毎日のようにあります。
経済を苦に自殺者が多い、、、、、でもそれだけの問題とも思えない。

昨今の世の中を見ていると、生きた方が幸せなのか、死んでしまった方が幸せなのか、私は、わからなくなってしまっている。
今、自ら死に行く人に、「生きろ」とは、今の私には、口が裂けても言えない。
今の私にとって、この言葉を使うことが、あまりに傲慢で無責任で軽々しい言葉に思えてしかたないし、彼らが「死に行くこと」を、認めてあげることも、受け入れてあげることも、大切だと思えるからだ。
時には、「辛かったね。お疲れ様。ありがとう。」と、死に行こうとしている人を笑顔で見送ってあげることも、、、、、、

本気で死を選ぶ人は、腕を骨ごとナイフでズタズタに切り裂き、皮一枚の状態になってしまったとしても、その腕の激痛よりも生きる方が辛いと言う。
そんな彼らに「命の大切さ」だの「生きていることのすばらしさ」だのという言葉を伝えても、雲をつかむような話にしか聞こえないだろう。

死に行く彼らを「甘え」だのなんだのって言って、批判している人たちも中にはいるが、そういう人こそ、今までどういう生き方をしてきたか教えて欲しいものです。
賢明に生きようとしているのは、そういう批判している人間よりも、むしろ彼らの方だと私には思えるし、その結果、疲れ果て、死を選ぶしか道が無くなってしまったというのが、この世の中の状況であり、そういう批判をしている人たちが作り出してきた世界だと思えてならないからです。

本気で死を選ぶ人は、本気で生きたいと思っている人ではないだろうか。
「生きたい!」その最後の叫びを「死」で表現するしか、彼らには道がないのではないか。

そんな本気で生きたいという人が生きていけるのではなく、無神経に生きている人の方だけが生きていける世の中は、どう考えてもおかしすぎる。
本気で生きたい人が本気で生きていける世の中にしていくことが、「死ぬな。生きろ。」なんていう希薄な言葉をかけるよりも、今一番大事なのではないかって、、、、、そう思っています。


15分に1人が、今、自ら命を絶とうとしています。
未遂を含めればその10倍とも20倍とも言われています。

これでは、どこぞの国の戦争と同じではないのですか。
どこがどう違うのでしょうか。

2005年6月 1日

地震、雷、なんとやら。

気象記念日(6月1日)の今日、

午後7時6分ごろ震度2。
午後7時40分ごろ震度2。
午後8時44分ごろ震度3。

と、1~2時間の間に東京湾を中心とする地震が3回連続でおきました。
う~む~、このまますんでくれるといいのだが。

この前、東京でテロを想定した演習とかが行われていたようだけど、そんなことをしている場合なら地震を想定した演習でも毎日したほうが賢明なのでは?って思ってしまいます。

テロは相手はあくまで人間。外交手腕一つで未然に防げること。
地震や津波や台風は相手は自然。そうはいかないからねぇ。。。。

どうですかねぇ、石原さん。

と、まぁ、なによりも、このプログ記事が最後のエントリーにならないことを祈る(笑)

教育 罰 しつけ

乙武さんのブログを何気なく読んでいて、面白いなぁーって感じた。
教育に関して書いてあるんだけど、現場の生の声などが書いてあって、色々と考えさせられてしまいました。

「教育」とは、一体なんなのだろうか。
「しつけ」や「罰」とは、一体なんなのだろうか。
(乙武さんのブログの関連記事  

教育のために「罰」を与えたり「しつけ」をしたりすることは、別に間違ったことではないと思う。
ただ、それらが、「どこを向いてのものなのか」というところが問題なんだろうと私は思う。

誰のための「しつけ」や「罰」なのか。
子ども自身のことを思ってのことなのか、それとも大人(教師や親)の言うことを聞かすためのものなのか。
前者は、子どもの行動が良いか悪いかという一方的な価値判断だけでは出来ないことに対し、後者は大人の考えていることは絶対正しく、大人だけが良いか悪いかを判断できることが大前提で成り立っているとも言えるだろう。

大人が絶対に正しいのか?
そんなことが本当に言えるのだろうか?

それが「体罰」であろうとなかろうと、どんな「しつけ」の仕方であっても同じだと私が思っている。
一昨日だったか、二子山親方がガンで亡くなり、昨日の記者会見で花田勝さんが「オヤジに殴られて辛かったけど、今ではあれは愛情の一環だったと思っている」という言葉を聞いて、二子山親方は子どもや弟子に対して、どういう「しつけ」をしてきたか、わかるような気がする。
その時、どこを向いていたかどうかで、昨今では「体罰」と言われることでさえも、「愛情」と感じられるのだろうって思った。

乙武さんのブログに書いてあるような「体罰」がいいのかわるいのか、どこまでが「体罰」になるのかは、私にもわからない。
ただ、こういうものは、「法律」だとか「きまり」だとか「理論」では片づけられるものでもないだろう。
二子山親方がしてきたからって”「叩く」「殴る」ことが教育に不可欠だ”と言い切ってしまうのも、それは「自分たちが子ども時代に殴られて育ったから、その子どもの世代も殴れば育つ」という経験から基づいただけの大人たちの身勝手で単純な発想に縛られているだけのような気もするし、「子どもによって体罰も感じ方が違う」という「しつけられる側」のせいにするのも、正直、「しつける側」の勝手な言い分でしかなく、自分たちにもつ問題とやらを棚上げにしているだけの無責任な結論だ私は思っている。


前のブログにも書いたけど、5月はじめにヴァーチューズプロジェクトのワークショップに参加したが、この教育プログラムは「押さえつけ」ではなく「育てる」ことを主眼にしたものだった。
そして、決定的に違うのは相手の「マイナス」の面を指摘することではなく、「プラス」の面を具体的に示して育てることに着眼点をおいていたことだった。

このプロジェクトには「罰」という部類にあたることもちゃんと存在している。
「境界線を明確にし、それが破られたときの”結果”を体験させる」という言い方で、その内容もあくまで相手の内面の持つポジティブな面を引き出し奮い立たせることを前提に「体験」させるものだった。

それに、一方的な価値判断もしていない。
「しつける側」も「しつけられる側」もなく、みんなで考えて、みんなで体験して、みんなで成長していくというもの。

乙武さんのブログで教育現場のインタビューなども載っているが、私には今の日本の教育は迷走状態にあると、ヒシヒシと伝わってきてしまいました。
「ゆとり教育」なのか「ほったらかし教育」なのか、わけがわからなくなってしまっているし、学校崩壊とかだけではなく、教育基本法や憲法の改正のことも絡んできているので、尚更だろう。

もちろん、ヴァーチューズプロジェクトがすべてではないと思うし、こういうのは適材適所なのかもしれない。
が、メンタル的な部分も含めて、色々と見直し試してみる必要もあるのではないかって思う。

話は変わるけど、実のところ、昔、乙武さんって嫌いだったんだけどねぇー(笑)
乙武さんの本を巡って、友だちと大げんかしてみたり。。。(^^;;;
最近、なんとも思わなくなったというか、いろんな面ですごいなぁ、、って思うようになってきたっす。
自分も障害を持って生きているので、へんなライバル心を向きだしにしていたんだろうなって、今になって思う。
若かったねぇ、おいらも(笑)