2006年11月16日
這い上がり
昨日は、古市佳央さんっていう方のミニ講演を会社帰りに聞きに行きました。
「這い上がり」 ワニブックス刊
「君の力になりたい」 北水社
古市佳央 ホームページ
http://www.furuichi-y.com
16歳のときにバイク事故。バイクが炎上し生死をさまよう重度熱傷を受ける。その凄まじい後遺症のために、一度はあきらめかけた人生から、もう一度這い上がってきた方。
古市さんの話を聞いていて、「あっ、それ、あるある!」ってずっと、うなずきっぱなしだった。共感出来るっていうか、自分と同じ想いを沢山聞けたので、なんか、ほっとした気持ちだった。
自分は生まれつきこの体。生まれた時から障害を抱えて生きてきたから、五体満足だったころなんてない。
母のお腹から生まれた瞬間に緊急治療室行きになり骨形成不全症という病名を付けられた。それからその障害をずっと背負ってきた。古市さんには負けないぐらいの苦い経験も沢山してきた。
それから、ずっと、一人で頑張った。周りの人なんて全員敵だと思っていた。小学校の6年間なんてずっといじめられていたから、自分の心をガードすることが全てだった。傷つきたくないから。そんな弱い心に入り込まれたくないから。強気を演じ、ずっと、意地張って生きてきた。
でも、実際は違った。今、思うと沢山の人に支えられて生きてきていた。戦っていたのは、自分一人ではなかった。
ある日そのいじめられ通していた小学生の自分をよく知る友だちにこんなことを言われた。
「あなたはずっといじめられてきたと思っているかもしれない。でも、違ったよ。あなたがケガして長期入院していたとき、先生やみんなと一緒に”早く良くなりますように”ってずっとお祈りを捧げていたのを知ってる?”いつ退院出来るの?”って、みんなそんなことばかり気にしていたんだよ。」
正直、耳を疑うような話だけど・・・・でも、それを聞いて、あの時、いじめられて苦しんでいた自分の想いと「さよなら」することができた。「いじめ」ではなく「人生の勉強」だったと今では思っている。あの経験が無ければ、今、人のことを深く思いやれる気持ちは生まれてこなかったと思うから。弱い人の立場に立って深く考えることが出来なかったと思うから。だから、あの「いじめ」もステキな経験の一つだったと今は想っている。
障害を持って生まれたから経験できたことは沢山あると思う。五体満足な人では、決して出来ない経験、決して感じ得ない想いを私は持つ事が出来た。これは、本当に素晴らしいことだと想う。自分の誇りや宝物そのものだ。
古市さんも同じようなニュアンスで言っていたけど、「障害」というものを自分の長所としてもっとアピールして生きていきたいって今は思う。昔は「障害者は天使」だとか「希望」とか言われるのが凄く大嫌いだったけど、今は、そうだと確信を持って想っている。私が障害をもって生まれてきた理由はそこにあると想っているから。ここまで生かされてきた理由はそこにあると想っているから。だから、これからも生きていく。自分の「生の役割」をちゃんと確認しながら。
そう。
人それぞれには、「生の役割」を持って生まれてきている。誰一人として、役割を持っていない人なんていない。
今、「いじめ問題」に絡んで「すぐに自殺を選ぶのは弱いからだ」「甘やかせているからだ」みたいなことを言っている人がチラホラいるけど、そうではない。弱くたって良いと思う。別に強いことだけが全てではない。他の人と同じであることが全てではない。手や足が無くたって、どんな姿だって”人間”であることには変わりない。それは”心”の形だって同じ。人間であることは変わりない。形、格好、色、大きさ、そんな表面的なことは、”心”も”体”も全く関係ないし、その違いこそが、今ここに「生」を持っていることの「役割」なんだと思う。
そのままの姿、ありのままの姿で、ちゃんと生きていけるっていうことが誰もが持った権利でもあり、世の中の本来あるべき姿だと思う。一人じゃない、みんないるんだと支え合って生きる姿が本来あるべき世界だと思う。だから、そういう世界を作りたいってずっと思っているし、NGOなどで活動しているのは、そんな想いから。
古市さんの話していたことやその想いと、自分がここ最近常に思っている事が凄く似通っていたので嬉しかった。前々から話を聞きたいって想っていた人だったので、今回、参加できて良かった~。急な土砂降りの雨に降られて大変だったけどね(笑)
- by Nipopo
- at 17:53
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