2007年4月28日

古紙100%再生紙

「古紙100%再生紙は環境にやさしい」はウソでした J-CASTニュース 28日18時00分

確かに、工程などを考えれば、そうなるのかもしれない。また、木材チップから紙を作るとき、その工程から出るおがくずなどをバイオ燃料として使えないなどの問題点があるようなので、そのあたりもあるのだろう。だが、私は、そんな単純に、工場での二酸化炭素削減や化石燃料の消費削減のことだけを考えることではないと考えます。

古紙を使う理由は、そういうところだけではありません。木材チップに変えられてしまう原生林という自然を残し、そこに住む希少な動植物を守ることにもつながるのです。現に、原生林の消失により、希少動物が次々と絶滅しかかっている状況もあります。また、原生林は、その後に植えられる人工林よりも数倍二酸化炭素吸収量は大きく、人工林から原生林に育てようとしても数百年の月日が必要になる。それに、そのことによって、そこに住む人々の生活を守ることにもつながるし、また、海外に木材チップを依存している日本においては、輸送などに使うエネルギーも考えていくべきだと思っています。
そういう部分での環境リスクは、全く無視されているように私には感じる。


エコを考えるときは、もの事の一端のみを考えるべきことではないと私は思う。石油消費を押さえて二酸化炭素排出さえ少なくなれば、それで済むっていう話でもないのです。そういう活動をしているような人もいるようですが、正直、何か違っているようにも思っています。それに、今の「人間の生活」を維持しつつ環境に関わろうということしか考えていない活動もなにか違っていると思う。もっと、広い視野で総合して全体的に考えるべきことだと私は考えていますので。

最近の日本における製紙業界は、大規模再編が行われており、環境のことにかまってられないっていうのが、本音なんじゃないか?石油消費が増えるのは古い設備で作っているからであり、最新の設備に投資するお金を使っている暇があったら、買収されないように防衛策を考えたり、売り上げを増やしたりした方が利口だと思っているんじゃないかと、、、、などと一人、勘ぐってみていたりします。

下のような記事もあるしね。昨年のエコプロダクツ2006で、設備投資に関して思いっきりつっこまれてる。本人たちは「違う」と言っているけど、本音と建前があるのが、”業界”というものだし。

日本製紙 古紙100%再生紙を中止 一般品9月で環境に適切な配合へ  紙之新聞

また、昨今の石油高騰の余波も気にしているという風にも見えるしね。

しっかし、こういう一方的な記事は、危ないよな・・・・・・・。事の本質を見失う可能性大の荒い内容の記事だから、こんなものをネットに垂れ流して、大丈夫なんだろうか?本当に怖い。

GW

今日から、GWでおます。
さっきまで、寝てました。
12時間寝、、、、、久しぶりだ、、、、、

今日はフリー。
明日、明後日は、アミウィングス絡みで出かけ。
明明後日は、友だちのところに遊びに行ってきます。
5/2は、フリー。
3~5は、家族旅行。
6日はフリー。

なんだかんだと細かい用事があるんだよな。もっと、友だちとかと、遊びに行ったりしたいんだけどな。

昨日は、会社の年度初めの計画目標のための個人面談。
今まで、こんなことやったことなかったんだけど、今年度からやるんだってさ。
いや・・・・久しぶりに緊張した。
社長&役員5名 対 オイラ1名・・・・・・就活以来じゃないか、こんなの。

なんか、いらんこと言ってないか、今、心配していたりして。。。。覚えていない(笑)

2007年4月27日

ありのままに生きること(虹色のエコタイム版)

先日のアースディ東京で出会った方がこんな話をしてくれた。

「私は、以前からエコに興味があり、片っ端からやっていった。車はダメ、電気はダメ、これもダメ、あれもダメと、こうしなきゃ、あーしなきゃと、いろいろとやってきた。いつしか、雁字搦めになり、苦しくなってしまい、精神的にもおかしくなりかけた。本当のエコは、そうではないと感じた。自分の出来ることを楽しくやること。それが本当のエコで、それが本当に自分の生活の一部になっていくと思う。何でもかんでもではなく、これからは、楽しくエコと付き合っていきたい。もし、車に乗らないとならないことが在るのなら乗ったってかまわないし、電気を使わないとならないのであれば使えばいい。必要以上に使うから問題なのであって、必要最低限だったら必要あるところには必要なんだと思う。これからは私は私らしくエコをやっていきたい。」

自分もそうだった。NGOとかでボランティアとかしていると、そこで言われている方法以外のことをしてはいけないんだと思いこんでいた。アレもダメ。これもダメ。そんなことばかり考えていろいろとやっていったら、最後には苦しくなってしまった。

エコロジーの本来の姿って、本当は「ありのままに生きること」なんだと思う。「本当の自分」で生きること。

「本来の自分」を切り捨てて”エコ”というものに全てを囚われて苦しんでしまっていたのなら、それって地球に対しては”エコ”かもしれないけど自分に対しては”エコ”と呼べるんだろうか?本当の意味での”エコ”って呼べるんだろうか。

今の世の中の様々な問題は「ありのまま生きる」ことが出来ないからだと、そう感じています。環境問題もそうだし戦争やいじめなども、様々な問題があり、個々原因はいろいろとあるけれと、全て同じ部分に繋がっているように思えるのです。

もし一人一人が「ありのまま生きる」「人が人らしく人として生きる」ことが出来たのなら、全ての問題は解決できるんじゃないかなってそう思うし、笑顔も取り戻せるんじゃないかな。それって、難しいようで、意外に単純なことなんだよね。

2007年4月26日

ありのまま生きて

※心に大きな傷がある人はトラウマが再発しかねない言葉を使っているので注意してください。

朝日新聞夕刊で連載中のニッポン人脈記のコラム記事にて、先週から「ありのまま生きて」シリーズが始まった。日本という国で生き抜く障害者の想いを綴ったコラム。一昨日は、骨形成不全の安積遊歩さんが出ていた。

「自立」「優生思想」などなどなど。。。。。日本において「障害を持って生まれる」ということがなんなのか、いろいろと考えさせられる。

「障害は人間の個性なんだ。できないことは手伝ってもらっていい。自立って、生活の一コマ一コマ、人生を自分で選び、決めること。」

20日夕刊に載っていたカリエスという病気で肺活量が1/5しかない樋口恵子さんの言葉。本当にそう思う。

前の日記で、「昔は、人に心配させるのが嫌で、助けてくれることも嫌がっていた。人に助けられるたびに、嫌悪感に襲われ、へこんでいた気がする。」と書いたけど、本当にそうだった。人に助けてもらうことへの申し訳ない気持ちや人と同じことが出来ない自分への劣等感が入り交じり、嫌悪感と罪悪感で自分を苦しめていた。人の助けを借りずに生きていけることが自立だと思っていた。金銭的にも、物理的にも。だから、そんな「人の助けを借りないと生きていけない自分」=「自立出来ていない自分」は、「自分はこの世に必要な人間じゃないんだ、じゃまな人間でしかないんだ。」と思い込み、必死になって健常者と同じ事をしよう、それを追い越そうと頑張りすぎていたように思える。

「優生思想」も他人事ではない。子の世代に遺伝する私自身のこの病気は、世の中に在ってはならない遺伝子だと、そう思っていた。だから、自分もあってはならない遺伝子を持った必要のない人間だと。骨の折れる病気なんて、この世にあっちゃいけないと。そんな自分もあってはならないと。

今では、そういう想いが全くないかというと、そうでもない。そういう想いが沸々とわいてくることもある。ふっとした事柄でわき上がってくることもしばしばある。そういう思考のループが始まったら、切断できるようになってきたので、いつまでも凹んだ気持ちを引っ張り続けることはなくなったけどね。でも、先日、本気で体の調子悪くなったときは、流石にこういうループに陥ったのできつかった。

こういう時は、友だちの存在って大切だよなってそう思う。先日のアースディの時にしろ、いろいろと気にかけてくれたことが、嬉しく感じた。人と会うことで自分の存在というものが感じられた。


安積遊歩さんのような生き方は好きだけど、あの人のように、自分と同じ病気の子どもが生まれることを知りながら生んでしまうような「優生思想」を根本から覆すような論理が自分の中に生み出せるかというのは、正直、かなり難しいと思う(障害とは別の意味での個々の倫理観とかも絡んでくると思うし)。

でも、人と違うこと、そして、そういう体で生まれたことに対しては、誇りに思いたいと思うし、その姿を「ありのままに」に生きていきたいとそう思う。自分は、自分でしかないのだから。そして、それには意味があることなのだから。だから、そのことを大切にして生きていきたい。

安積遊歩さんのインタビュー記事 
     → ふらっと人権擁護ネット内 前篇 後篇

2007年4月23日

アースディ東京2007 ありがとう☆

4/21~22
代々木公園イベント広場を中心に開かれていたアースディ東京2007。
企画出展「お金のいらない国カフェ」無事に終了しました♪

来てくださった皆様、応援してくださった皆様、お手伝いしていただいた皆様、いろんな形で協力してくださった皆様。
本当にありがとうございました~☆

アースディ東京に今回のようなブースの形で参加して4回目。
他のブースに間借りして参加が1回とブースは出していないけど関連イベントとしての参加が1回を合わせると、6回目の参加。

やっぱり、野外イベントは楽しいです☆

アースディ東京は、1年の中で一番うれしい時間だなって、改めて、そう感じました。その場にいるだけで、わくわくさせてくれる。希望と明るい明日を感じさせてくれるこの空間が楽しい。

たくさんのステキな仲間たちにもまた逢えた。しばらく逢っていなかった友人なんかにも逢えたりして、ほんと、うれしかった!

去年に引き続いての「お金のいらない国カフェ」

ちょっと、アースディ東京事務局側との意思疎通がうまくいっていなかったことなどがあり、トラブルもいろいろとあったけど、去年よりもよかったって自画自賛していま~す。トラブルは野外イベントでのある意味、醍醐味。だから、楽しかったりしますね!出来たこと、出来なかったこと、たくさんあるけど、出来なかったことよりも出来たことを、今は喜びたいです。

たくさんの人に寸劇を見てもらって、どんなことを感じてくれたんだろうか。少しでも、何気ない身の回りのことに対し、立ち止まって「これは何だろう?」と考える時間ができるようになってくれれば私はうれしいです。

来年は、どうしようかな。また、なんかやりたいって、もう、すでにいろいろと思っています。


何度か書いたけど、今年は、体調を崩した中での準備でした。思う通りにならない体。本番1日目も、体調が思わしくなく、ブースの中でじっとしていることが多かった。2日目はなんとか動き回れるようになったけどね。

でも、そういう時に思うのが、仲間たちの存在。いろいろと心配かけてしまったけど、いろいろと手をさしのべて、助けてくれた。やっぱり、人って一人じゃないんだなってそう思う。病気の中、このイベントに関わって、改めてそう思った。

昔は、人に心配させるのが嫌で、助けてくれることも嫌がっていた。人に助けられるたびに、嫌悪感に襲われ、へこんでいた気がする。

だけど、今は、いつも気にかけてくれて心配してくれる仲間や、「お願い!」って気軽に助けを求めることが出来る仲間がいることがありがたいって思えるようになった。

そして、こうやってイベントに参加したり、楽しめたり出来ることが、とても、貴重でステキなことなんだと心から感じられた。

そのことを、今年のアースディでは、私に教えてくれた、そんな気がしました。


関わってくれたみなさん、ありがとう。
たすけてくれたみなさん、ありがとう。
会いに来てくれたみなさん、ありがとう。
偶然に会えたみなさん、ありがとう。

本当に、本当に、感謝します。

○下は撮ってきた写真たちです。
今年はブースにいる時間が多かったので、あんまり、他の景色を写せなかったっす。。。。
今年はブースにいる時間が多かったので、あんまり、他の景色を写せなかったっす。。。。今年は演奏関係を見に行けなかった。友だちの演奏とかも見られなかったし、、、、吉本多香美さんも見られなかった、、、シクシク。いろいろありすぎて、それどころじゃなかったから良いんだけどさ~。来年があるさ☆

・寸劇中

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・ミニワークショップ中

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・メインステージ(1日目)

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・開場前の風景(2日目 橋上から)

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・開場前の風景(2日目 メインステージ)

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・開場直後の風景(2日目)

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・様々なパフォーマンスとアート

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毎年、規模が大きくなるわね。もう、あの会場は手狭な気がする。来年は、少し全体的な形態を変えた方がいいのかもって、そう思う。

2007年4月20日

アースディ東京2007~☆(21日、22日)

今日は、良い天気ですね~。
このまま、晴れが続いてくれるとうれしいな。

いよいよ今週末、楽しみにしていたイベント「アースディ東京2007」です☆
私が一番大好きなイベント♪


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「お金のいらない国カフェ」もそうだけど、楽しいブースが沢山でています。
六ヶ所村のことも出ているし、今年からは、オーガニックフードオンリーになったので、食も楽しみに!

エイズ関係のブースも出ているんだね。支援している団体や啓発団体もいるみたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/aidsvillage/
カフェにかかりっきりになりそうなので、行けるかどうかわからんけど、時間の合間にいってみようかなと思う。

「お金」のいまを苦しめている囚われが、少しでも軽減できれば嬉しいと思う。みんなが笑顔でいられますように。

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  ~アースディ東京2007
        「お金のいらない国」カフェへようこそ~

地球に感謝し、地球のことを考える、世界中で行われているアースディ。
今週末、4/21~22の期間、代々木公園イベント広場を中心に、アースディ東京が開かれます☆

アースディ東京2007のテーマは、
~Love みんな地球と繋がっている~ 2歩先の近未来への提案
http://www.earthday-tokyo.org/

去年に引き続き、今年も仲間たちと一緒に「お金のいらない国カフェ」で企画出展をすることになりました!

もし「お金のいらない国」だったら、 どんな社会になるだろう?
摩訶不思議?な世界へご招待いたします。
ブースでは、寸劇はもちろん、今年からは、「お金のいらない国」の楽しさを感じてもらえるような簡単なワークショップなども企画しています。

お茶の無料提供もありますよ!

ぜひ、遊びにいらしてくださいね☆

○日時:2007年4月21日(土)・22日(日)
   お金のいらない国カフェ 10:00~17:00
   会場・メインステージ  10:00~19:00
○場所:東京・代々木公園イベント広場
   http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E139.42.0.3N35.39.52.1&ZM=12

   JR原宿駅表参道口・東京メトロ千代田線1、2番出口からお越しの方は、NHKホール、国立代々木競技場横の大通りを右手に代々木公園の緑を見ながら、歩いてきてください。左手には、コンサートなどをやる体育館やホールの建物が並んでいます。歩いていくと、前方に会場案内、もしくは大通りをまたぐ形で陸橋が見えてきますので、その場所は、会場になります。

   JR渋谷駅 ハチ公口からお越しの方は、マルイシティ横の公園通りを歩いてきてください。突き当たりが、イベント広場入り口(ケヤキ並木通り入り口)になります。

○会場地図:
 http://210.150.197.171/2007/news/wp-content/uploads/2007/04/map.pdf
 (PDF 750KB)

私たちの場所は、白抜きの○数字の14番です。ケヤキ並木通りブロックからメインブロックのイベント広場へ入る入り口すぐにブースがあります。大きな陸橋を目指して歩いてきたあと、その近くにあるアースガーデン出展本部付近を探してください。

尚、当日は、「お金のいらない国」というアースディ東京2007企画出展という立場で行っていますので、ネットワーク『地球村』及びNPOビレッジブロックで探しても見つかりませんのでご了承ください。

<お金のいらないカフェ ブースタイムスケジュール>

○21日  (開店:10時 閉店:17時)
 AM11時半 第一回目 寸劇+語り(WS無し)
 PM1時半  第二回目 寸劇+語り+WS
 PM3時   第三回目 寸劇+語り(WS無し)
 PM4時   第四回目 寸劇+語り+WS

○22日 (開店:10時 閉店:16時)
 AM11時半 第一回目 寸劇+語り(WS無し)
 PM1時半  第二回目 寸劇+語り(WS無し)
 PM3時   第三回目 寸劇+語り+WS

※WS無しの時間枠は所要時間15分~20分、
 WS付きの時間枠は、所要時間30~40分
 となっています。
※あくまで、このタイムテーブルは現時点での予定です。当日、追加公演やWS付きの数を増やしたりする可能性もありますので、ご了承ください。
※21日、22日共に著者の長島龍人さんもお越しになります。

○長島龍人(ながしま りゅうじん)

1958年、東京生まれ。
武蔵野美術大学卒業後、広告代理店入社。
2003年、「お金のいらない国」出版。
以後、寸劇に仕立てたものを自ら演じたり、自作の歌を歌ったりと、理想社会のイメージを伝えるため、さまざまな活動を続けている。
著書は他に「お金のいらない国2~結婚って?家族って?~」
「お金のいらない国3~病院の役割は?~」
「お金のいらない国4~学校は?教育は?~」(『地球村』出版)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

●企画:NPO法人 ネットワーク『地球村』東京オフィス
 お問い合わせ:03-6379-5022(うえき・わたい)
 メール:uekih(アットマーク)chikyumura.org
 HP:http://www.chikyumura.org/

2007年4月19日

全ての命へ

今日も雨・・・しかも、なんだか寒い・・・。梅雨にでも入ったような天気だし、こう雨が続くとやだわね~。雨の日は、杖が滑るので、移動するにも気を遣いますです。だから、体、ガッチガチになって、疲れる。

明日は、天気みたい。でも、会社だからずっとオフィスだし・・・・・どうせなら、21日、22日に晴れて欲しいでふ。

そういえば、今日からアースディ東京2007の会場作りが始まります。私の仲間たちも数人、手伝いに行っています。雨の中、ありがとうございま~す♪



長崎市長銃殺事件(長崎新聞)

アメリカ銃乱射事件(朝日新聞)

今週初めから、嫌な事件が立て続けにおき、気が滅入りそうです。アメリカ、そして、日本。

17日の夜の1時間枠のNHKニュースで、女性のキャスターがこの2つの事件の原稿の読んでいる最中に、生き苦しそうに深いため息を付いていたのが印象的でした。なんとも、むなしさというか、やりきれない思いというか、悔しさというか、なんかそんなのが、一度にそのため息の上に乗っかったような感じに見えました。

政治的な背景とか、人種的な背景とか、なんか、そんなことを考えだすと、キリがないように私は思う。そこにどんな理由があろうと、アメリカの工科大学で起きたことも、日本の長崎駅前で起きたことも、一方的に命が奪われたっていう事実は変わりはないのだから、まずは、その部分を冷静にちゃんと見つめていくことが大事なんじゃないかなって。

理由はどうであれ、自分の身勝手なはけ口のためにこういう卑劣な暴力を使うことは許されてはならないことだと思う。数年前から小型銃器を規制、撲滅するための「日本小型武器行動ネットワーク(JANSA)」に携わり、世界中で銃による犠牲が後を絶たないことを知りました。その原因が、戦争であり、貧困であり、差別であり、心の病であり、政治であり、お金であり、、、、いろいろな理由がそこには存在しているけど、どれもこれも、結局は、1つの所にその落としどころがあるように思います。それが「命」そのものであること。「命」があまりに粗末にされ、ゴミのように捨てられてしまっていること。それが、他人に向けてか、自分に向けてか。違いといえば、それだけ。


平和への一歩目は、森羅万象の全ての「命」そのものが、どれだけ大切であり、かけがえのないものであるかを感じていくことなんだと思う。本当にそのことが感じられたのなら、心にサンクチュアリ(日本語では聖域と単純に訳されるが、「常に安心でき安定でいられる場所」といった意味がある)が生まれ、恒久的な平和が生まれるように思っています。

だから、今は、この悲しみを受け止め、開放していかなきゃって、そう感じるのです。


長崎前市長伊藤一長氏へ。
アメリカヴァージニア工科大学で亡くなった33人の方々へ。
そして、今、世界中で様々ないわれのない暴力や貧困で亡くなっていく全ての命へ。

心よりご冥福をお祈りいたします。


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2006年度長崎平和宣言

 「人間は、いったい何をしているのか」
 被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
 1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
 しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
 10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
 6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
 核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。
 
 昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
 核保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
 核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
 また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
 繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。
 
 61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
 本年10月、第3回「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
 被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。
 
 最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。

2006年(平成18年)8月9日 
長崎市長 伊藤一長

2007年4月16日

体の調子と今週末のイベント

ご心配をおかけしております。
にぽぽでございます。
みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?(笑)

体の調子は、長時間、起きていても辛くない状態になってきたなっていう感じです。

先週は一進一退の状態だったので、どうなることかと思っていたけど。最初のころは、6時間ごとに痛み止めの薬を飲んでいないと、七転八倒っていう感じでしたが、今は、その時間も延びてきて、薬が切れても、激痛で苦しみようなこともなくなりました。

小便も良い色(笑)先週は真っ赤っかでしたので。

最初は3~4年前から。原因不明。石とかが詰まっているとかいう話なら、それなりの治療をすればいいんだけど、細菌みたいのは出ないし、MRIやCTやらエコーやらいろいろやってもなんだかよくわからず。腎臓が2倍ぐらいにふくれあがっているのみしか写ってなかったのです。

「う~ん、わからん!」って、大学病院の専門医にさじを投げられてそれっきり。

まぁ、現代の最新医学なんて、こんなもんだ(笑)
当てにならない。


昨日は、精神的に落ちまくって気がおかしくなりそうだったので、気分転換も兼ねて、昼間、新大久保であったミーティングに参加。体が重たいし、歩くたびにピリピリ痛むしで、やっぱり大変でした。電車移動は、いつもはさほど苦痛じゃないんだけど、昨日のミーティングからの帰りは、尋常じゃないほどきつかったな。満員電車で席を譲られなくても別になんとも思わない人間なんだけど、昨日はさすがにお願いしようかと思ってしまいました。

友だちに逢えて話せたので、精神的にはよかったけどね。。。。でも、体は言うことがきかない。。。汗

でも、一晩寝たら、かなり、良い感じに回復。今日、一日、会社に出社したけど、特に気になりませんでした。痛み止めは飲んでいるけどね、12時間近くほったらかしでも、なんともない。

このまま、順調に回復してくれるといいな~☆
だって、今週末は、ビックイベントなんだから♪


アースディ東京2007まで、もう、5日。今度の土日、21、22です。昨日のミーティングは、このためなんです。

今年も「お金のいらない国カフェ」を有志と出店します。かなり、良い感じに仕上がってきました。昨日、無理してでもミーティングに出た甲斐もあって、残っていた案件は全て片付いた。あとは装飾周りのスタッフに頑張ってもらえればいいだけ。

一人で考えていても、さっぱり、アイデアが浮かばないことも、みんながいるとあっという間だね。一番、気がかりだったワークショップの内容もかなり良い感じに仕上がりましたよ。

ほんまに楽しみにしていてください。1日に3~4公演。そのうち、2公演はお楽しみのワークショップ付きです。「お金のいらない国」って楽しいじゃん!って思ってくれるような中身になったので、すごいですよ~♪

「お金」という囚われで苦しむなんて、本当に必要ないんです。人として生きていける、本当にすばらしい世界は、いつでも私たちの手で作り出せるってそう思っています。

2007年4月11日

イタタタタ………

病院に飛び込みで行ってきました。

日曜日の夜中からのお腹の下りも収まってきて安心していたのですが、早朝から左横腹から背中にかけて鈍痛。やばいって思ったら、激痛でさっきまでのた打ちまわっていました。4~5年前から、たまにある水腎症の疑い。薬が合わなかったみたいで、かかりつけのお医者さんに薬を変えてもらい、今は落ち着いてきた。前にもらったお腹の薬が泌尿器にも作用するのでそのせいらしい。

腎臓は昔から弱く、また、体付きのせいもあって、腎臓の位置や尿道の位置が変なので、水腎症や腎盂炎(某タレントが最近公表して休業したあの病気)に気をつけるように言われていました。腎不全なんてなったら大変だし。

と言うわけで疲れると出るので、私をこき使わないように(笑)そこの君。私にムチ打ってばかりいないで、少しはちゃんといたわりなさい(笑)

などと冗談言っている場合ではないな。自分で自分を自愛しないと。

日記かいたら、さらに落ち着いてきたな。3時に痛みで目が覚めてから寝られなかったので寝ます。お休み

このまま、痛みが取り去ってくれるといいな。病気になると、弱気になるので、ホントいやだね。某タレントの気持ちがよくわかる。

2007年4月 9日

お腹

みなさん、おなかの調子はいかか?(笑)

いや・・・・・。
昨日、イベントのスタッフをやったあと、みんなと食事をして帰宅。
帰りの電車内で、おなかがゴロゴロ。。。。嵐が巻き起こり、結局、新宿、三鷹、立川と主要駅で途中下車してトイレに駆け込む始末。

それからというものの、30分ごとにトイレで、朝まで一睡もできませんでした。。。。チーーーン。

朝、病院。
医者には、「まぁ、ノロじゃないでしょう。ゆっくり寝ていれば治りますよ。」って、まぁ、アバウトな診断を受けて、今日は、会社休んで、寝てますです、はい。

もともと、お腹が弱い人間なんで良いんだけどさ・・・・
体に休養を。
食べ物には気をつけましょう。

都知事選がどうなろうと、お腹が壊れようと、地球は何事もなく絶えず回ってる。良いんだ良いんだ。一応、期日前投票はしてきてあったし、選挙なんて、所詮、こんなもんだ。

っつぅ~わけで、今日の日記終了(笑)

2007年4月 7日

自分の中での「ボランティア」

今日は、某NGO団体のMLに投稿したメールをmixi用に一部改良して流します。
脈略がないので、意味不明かもしれないけど、ご勘弁を(笑)

実のところ、「ボランティア」という言葉も、今は違和感があります。
ただ、この言葉しかないので、今はあえて使っています。

それと、「ホ・オポノポノ」の話のような、もっともっと深い感覚が今はあるんだけど、いきなり、その話を持ち込んでもちんぷんかんぷんだろうと思うので、書いていません。

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私が「ボランティア」というものに関わり初めて8年。
今度の8月で9年目になります。

あるNGO団体の講演会に参加したのがきっかけでその団体の仲間になり、地元支部で3時間モノの講演会のスタッフとして関わったのが「ボランティア」としての最初でした。

それから、いろいろな講演会やイベントなどのスタッフをしたり、プロジェクトのリーダーをやったりしていました。

正直な話、今、思うと何がなんだかわからず参加していた気がする。

誰かのお役に立ちたい、世界を変えたいって思っていたのは確か。
こんな世界じゃいけない、変えたい。
ってそういう思いだけが強くありました。

自分の友人の数多くの人が心の病をおっていて、それを助けてあげたい、そんな人でも生きていける世の中にしていきたい。
そういう想いで一杯でした。

無我夢中だったな。がむしゃらだったな。全速力だったな。



だから、途中でいろいろあって、疲れ果ててしまったことがあった。
すべてを投げ出して、「ボランティア」とかなんとかも、全て捨ててしまおうと思ったことがあった。
がむしゃらしすぎて、マジメに関わりすぎて、息切れしてしまいました。


そんなとき、いろいろと考えました。

なんで、息切れしてしまったのだろう。
なんで、壊れてしまったのだろう。


結局、周りに合わせようと必死になっていただけ。
世界を変えたい、青くきれいな地球のありのままの姿を子どもたちに、なんて、面っづら良いかっこしていただけ。
完全なる自己欺瞞で、自己満足でした。

結局、一人になるのが怖いから、周りに合わせていただけ。
周りにいい顔をしていただけ。

ボランティアに関わる者はこういう生き方でなければいけないと、型にはめ込んで思いこんでいました。
そうでないと、取り残されると自分自身で型にはめ込んで、押し殺していました。


全速力で走れないのに、全速力で走ろうとしていた。


人に合わせることないんだ。
何も恐れることないんだ。
自分で勝手に型にはめ込んで苦しめていただけなんだ。

自分を信じよう。周りを信じよう。


そう想ったとき、フッと力が抜けた。


自分で良いんだ、自分そのもので良いんだ。自分の歩幅で良いんだ。自分のスタンスで良いんだ。自分の言葉で良いんだ。
それで、もう一度、やってみよう、やりなおしてみよう。


そう想って、今に至ります。


今、想うこと。

確かに、世界は混乱して、大変なとき。
地球温暖化も原発問題も戦争の話などもいろいろあって、社会情勢は不安定。
自殺者や心の病があって大変。
その危機的状況を変えたいっていう想いは、今でもあります。


でも、今、想うことは、そこに重心がありません。


今、ここに自分は生かされている。
みんなに助けられ、生かされている。
世界と繋がり、その一部となって、今、私自身がここにある。

また、この言葉を使うけど「全は個にして 個は全なり、個は孤にあらず」


ほんと、そのことに喜びを覚え、感謝しています。


だから、この感謝の心を恩返しをしたい。
社会に対して、世界に対して、地球に対して。


その恩返しの形の一つとして、「ボランティア」をしている。
自分の命を周りに還元していくことが、自分としての「ボランティア」。

社会に恩返しするのは、企業に勤めたりなんだって良いと思う。
ただ、人の心と心の繋がりそのものをちゃんと大切にしたいから、「ボランティア」といスタイルのほうが適していると私は思っている。


世界を変えるとか、そんな大げさなことではなく、今、ここに生きているから、そのことを感謝し、その恩返しをしていきたい。

今、私にできることは、ここに自分という存在があることを、愛という形で還元していくだけ。

世界の中のたった一人の自分として。
全ての繋がりの中の一つの個として。


なんかね、最近、ずっと、そんな心境の中でいて、ますます強くなっていく感じ。
今は、その位置が心地よい。

そして、そうやって生きていること、還元していくことが、結果として世の中を変えていくことなんだと、今はそう想っています。
本来の自分で伝えていくこと、生きていくこと、関わっていくこと、、、そのことが結果として、地球というありのままの姿を次の世代に残していくことなんだと、そう信じています。


今、こうやって、ボランティアメンバーとして、そして、一人の人間として、受け入れてくれているその仲間たちに感謝しています。
今は、こうやっていられることが、本当に嬉しく思っています。


本当に、本当に、ありがとうございます。

2007年4月 4日

笑顔を広げるネットワーク

入っちゃいました。
マイミクに誘われて。

虹色のエコタイム(SNS)
http://www.fafala.net/

「世界の笑顔のために~自分ができることから~」という主旨のSNS。「地球の笑顔のための宣言」や「Smile宣言」や「エコ宣言」などを宣言していくっていうネットワーク。

なんだか、面白そう☆
ってなわけで、入ってみたのです。

下は、私の宣言分。
かなり、堅くなってしまった~~。
つぅ~か、クサイ(笑)

そうそう、SNSなので、もし、やってみたいっていう人は、招待状を私からお送りするのでメッセージください。「SNS」のシステムを守るために、一応、mixiマイミク限定に限らせて頂きますね。

せっかく入ったんだから、放置しないようにしないとな・・・・
GREEも入ったのは良いけど、放置状態だし・・・・汗

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エコ。

学生の頃から、地球環境とか社会問題とか、そういうのには関心が高い方で、いろいろとそういうことを調べたりしてきた。でも、自分は、体が悪い、よく言う「障害者」という立場。社会とは切り離されたところに住んでいると、ずっと思いこんでいました。

自分でも何かしたい。悲しみに暮れる人たちを笑顔にしたい。そんな想いの中、自分から外に出るようになり、人と出会うようになり、社会の一端に触れるようになり、自分でも出来ることはたくさんあるんだと、今ではそう感じられるようになりました。

障害を持った体だからこそ、出来ることはある。伝えられる言葉がある。だから、障害者の目線から、いろいろなことを伝えて行きたい、行動していきたい。

そんな想いから、「希望の空へ」というブログも別に書いています。

「希望の空へ」
http://www.deep-eco.org/myblog/

今、自分の中にある言葉で、一番、好きな言葉は、

「全は個にして 個は全なり、個は孤にあらず」

森羅万象、「全て」のモノは「個」から成り立つ。また、その「個」が合わさって「全て」の世界を作っている。それらが何が欠けても「全て」はありえない。

私たちそれぞれの「個」の命、そして、その力は、その「全て」の繋がりの中で、血液のごとく脈々と流れるように生かされており、その流れに身をゆだねること、その流れを感じとることは、”生きる”という意味でとても大切なことである。また、これら「個」を知り、「全」を知ることは、自分は「孤」ではないことを実感することになり、また、それは「孤」になってはいけないということを悟ることにもなる。


私のような体ですら、社会の一つであり、その流れの一つである。だから、小さな力かもしれないけど、私の想い一つで世界は変わっていく。


悲しくて泣くことも泣かすことも、傷つくことも傷つけることもない世界にしていけますように。

世界に笑顔を。世界に愛を。。。。。

2007年4月 2日

ホ・オポノポノ

昨日は、あちこちの仲間が花見とかやっていたんだけど、結局、全部行かず(鎌倉→新宿で疲れちゃったのさ、笑)、午後から平和省プロジェクトJUMPのイベントに行ってくる。きくちゆみさんとかが主催している平和省を日本で設立させようという団体で、その報告会でした。

平和省プロジェクトJUMP 【報告セミナー:平和について知って感じて癒されよう】

実のところ、最近、きくちゆみさん絡みのイベントは避けて通っていました。どうも、最近の彼女の活動には違和感というか、なにかしっくりしないものを感じていたから。久しぶりに時間が空いたしな、、、、と思って、顔を出してみる。

で、思ったこと。。。。。面白かった(笑)

いやですね、なんだか、今回のイベントは、スピリチュアル的な内容が色濃くて、自分自身、すでに知っていたことばかり。紹介されていた「非暴力コミュニケーション」の内容なんてヴァーチューズプロジェクトの問題解決方法にそっくりだったし、「ホ(・)オポノポノ:ハワイ先住民の知恵」なんて、アミウィングスのミーティングでも一度分かち合った事例の一つで、みんなで納得しあっていたこと。「相手の心と”empathy”する」の日本語訳がどうのって言っていたけど、それってヴァーチューズPJで言う「スピリチュアルな同伴」じゃん?って思いつつ。

今、世界で起きていることは自分自身へのメッセージ。不必要なことは何一つ起きていない。その全てを自分のこととして受け入れ、感謝し、愛をもって全てを手放す。怒りや不安では解決できない。解決できるのは、結局、愛だけ。自分の心が平穏で穏やかで波風が立っていない状況こそ、世界の平和を作り出せる。それには上も下も左も右も善も悪もなにもないっていうこと。このことをわきまえた上で行動していくっていうこと。

前に、アミウィングスが主催して行った山川亜希子さんの講演でも同じようなことを言っていた。

この日に報告されたことって、私にとっては、当たり前のようなことばかりだったんだけど、でも、今までそういうことにふれたことのない人にとっては、とてつもなく大変な価値観の変換をせまられるんだなぁ~ってそう思って聞いていました。この発表が終わったとき、ちょっとした騒ぎだったし、発表していた本人たち自身がどう解釈していいものかわからず、戸惑っていたし。

でも、自分も一昔前はそうだったんだから人のことは言えない。ずっと、問題の矛先を他人へ向けていたから。でも本当は、自分に向かうべきなんだよね。そして、自分を責めるのではなく癒していくべきなんだよね。

いろいろと歩んでいくと、結局、同じ方向をむいて一つの道に繋がっていくんだなってそう思った。なんだか嬉しくなっちゃった。みんな、同じところを歩んでいるんだって。

平和は一人一人の心から。一人一人の心の愛から。NoではなくYesを。人に対してだけでなく自分に対しても。

そのことが少しでも広がっていけばいいし、そうことを教え、広めていくことこそ、平和省の設立目的なんじゃないだろうか。そうすれば、戦争だけでなく、上村さんが紹介していたアフリカでの貧困なども解決できるはず。問題の根源は自分の中の想いにあるんだって。


最後に、この日、紹介されていたホ・オポノポノの話について、分かち合いたいので転送しておきます。(きくちゆみさんたちも、たぶん、この同じ文を目にしたのだと思います。私も最初マイミクから受け取りました。)

もちろん、これも社会へのアプローチの一つの切り口の一端であり全てではありません。この話を本当かどうか、実践していくかは、みなさんで考えて判断してみて下さい。

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ホ・オポノポノ

by Dr. Joe Vitale(ジョー・ヴィターレ)  
www.mrfire.com

二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、精神障害を理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと)の病棟に収容されていた人たち全員を、誰一人診察することなく癒したそうだ。その心理学者は患者のカルテを読み、自分がどのようにしてその人の病気を創りだしたのかを理解するために、自分の内側を見たのだそうだ。彼が自分自身を改善するにつれて、患者も改善したという。

最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。自分自身を癒すことによって他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう?最高の自己改善の達人であったとしても、どうやって触法精神障害者を癒すことができるだろう?

私には理解できなかった。論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。

しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。セラピストはホ・オポノポノというハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。初めて聞くものだったが、忘れることができなかった。もしその話が本当なら、私はもっと知らなければならなかった。


私は「完全な責任」とは、私の言動に対する責任は私にあるという意味だと前々から理解していた。その向こうのことは、自分の管理を離れていると。ほとんどの人たちは完全な責任というものをそのように考えているのではないかと思う。私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、他の人の行いに対してではない。精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、私に完全な責任についての進化した新しい観点を教えてくれることになった。

彼の名はイハレアカラ・ヒュー・レン博士。私たちは最初の電話でたぶん一時間は話しただろう。彼にセラピストとしての仕事の全貌を語ってくれるようお願いした。彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、心理学者は月単位でやめていき、職員はよく病欠の電話をかけてきて、やめていく人もいたそうだ。人々がその病棟内を歩くときには、患者に攻撃されないように壁に背中をくっつけて通ったらしい。それは生活するにも働くにも訪ねるにも心地よい場所ではなかった。

レン博士は一度も患者を診なかったのだそうだ。彼は診療室を持って患者らのファイルに目を通すことには合意した。それらのファイルを見ながら、彼は自分自身に働きかけた。彼が自分自身に働きかけるにつれて、患者に癒しが起きはじめた。

「2、3月後には、以前は手足を縛られていた患者たちが、自由に歩くことを許可されていました」と彼は言った。「多量の投薬が必要だった人たちは、投薬をやめつつありました。そして退院の見込みのなかった人たちが退院していったのです。」

私は畏敬の念に打たれた。

「それだけではありません」彼は続けた。「職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。常習的欠勤や退職は消え去りました。患者は退院していくし、職員全員が仕事に来るようになったので、最後には必要以上の人数の職員が残りました。現在、その病棟は閉鎖されています。」

ここで私は問わなければ気がすまなかった。「それらの人々に変化をもたらすような何を、あなたは自分自身の中で行っていたのですか?」

「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を癒していただけです」と彼は言いました。

私には分からなかった。

レン博士は説明した。あなたの人生への完全な責任とは、あなたの人生の中の全てが -単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由で- あなたの責任なのだと。文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。

ヒャー。これはなかなか納得できるものではない。自分の言動が自分の責任だということと、私の人生におけるあらゆる人の言動の責任が私にあるというのは全く別の話ではないか。それにもかかわらず、実際のところは、もしあなたが自分の人生の全責任を負うならば、あなたが見たり、聞いたり、触れたり、その他どんな方法であれ、あなたが経験する全てがあなたの責任なのだ。それはあなたの人生の中にあるのだか
ら。

これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済 -あなたが経験していて好きではないこと- を癒すのは、あなた次第だということである。 言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。あなたの内面からの投影である以外には。問題は彼らに関するものではなく、あなたに関するものであり、それを変えるには、あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。

このことは把握するのも難しく、ましてやそれを受け入れて実際に生きることはもっと難しいとわかっている。非難のほうが、完全な責任よりもはるかに簡単である。しかし、レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。彼にとっての癒し、そしてホオポノポノにおける癒しとは、あなた自身を愛することなのだと。あなたが自分の人生を改善したければ、あなたは自分の人生を癒さなければならない。もしあなたが誰かを癒したければ?たとえそれが精神障害を持った犯罪者であっても?あなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。

どのようにして自分自身を癒すことに取り組んでいたのかと私はレン博士にたずねた。患者のカルテを見ていたときに、彼は具体的には何をしていたのだろう?

※「私はただ『ごめんなさい(I'm sorry)』と『愛しています(I love you)』を何度も何度も言い続けていただけです」と彼は話した。

それだけ?

それだけ。

あなた自身を愛することが、あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり、あなた自身を好転させるにつれて、あなたはあなたの世界を好転させるということが判明した。これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。ある日、誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。過去そういう時には、私は自分に感情的な反応を引き起こすものについてワークしたり、あるいは意地悪なメッセージを送ってきた人に理を説こうとすることで処理したものだった。今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。私は「ごめんなさい」と「愛しています」を声に出さずに言い続けた。特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。私はただ愛の精神を呼び起こし、この外側の状況を創り出した自分の中を癒そうとしただけだった。

一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。私は謝ってもらうために外側に何も働きかけをしていないことを覚えておいてほしい。私は返事すら書いていなかったのだ。にもかかわらず、「愛しています」と言うことで、私はどういうわけか彼を創り出していた自分の内側を癒すことができた。

その後、私はレン博士が開いたホ・オポノポノのワークショップに参加した。彼は今では70歳で、優しい祖父のようなシャーマンと見なされていて、少々引きこもりがちである。彼は私の著書『The Attractor Factor』をほめてくれた。私が自分を向上させるにつれて、私の本の波動が上がり、人々が本を読むときに皆それを感じるだろうと彼は語った。

要するに、私が向上すると、私の読者も向上するということだ。

すでに売られて外に出ている本についてはどうなんですか?と私はたずねた。

「それらの本は外にあるのではないよ。」彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚いた。「未だにあなたの中にあるんだ」

つまり、外なんてないということだ。

この高度な技術を、それが値する深さとともに説明しようとしたら、本が一冊書けるだろう。あえて言うなら、あなたがあなたの人生の中のどんなものでも改善したいのなら、見るべき場所はただひとつ、あなたの中である、ということだ。

「あなたが見る時は、愛をもって見るように(自分を見つめるときは、愛を持ってそうしなさい)」

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※印のところで、報告会の中では何回と無く「謝罪する」というネガティブな言い方で表現していましたが、実際は、愛する、感謝するというポジティブな想いが正確かと思います。