2007年04月26日

ありのまま生きて

※心に大きな傷がある人はトラウマが再発しかねない言葉を使っているので注意してください。

朝日新聞夕刊で連載中のニッポン人脈記のコラム記事にて、先週から「ありのまま生きて」シリーズが始まった。日本という国で生き抜く障害者の想いを綴ったコラム。一昨日は、骨形成不全の安積遊歩さんが出ていた。

「自立」「優生思想」などなどなど。。。。。日本において「障害を持って生まれる」ということがなんなのか、いろいろと考えさせられる。

「障害は人間の個性なんだ。できないことは手伝ってもらっていい。自立って、生活の一コマ一コマ、人生を自分で選び、決めること。」

20日夕刊に載っていたカリエスという病気で肺活量が1/5しかない樋口恵子さんの言葉。本当にそう思う。

前の日記で、「昔は、人に心配させるのが嫌で、助けてくれることも嫌がっていた。人に助けられるたびに、嫌悪感に襲われ、へこんでいた気がする。」と書いたけど、本当にそうだった。人に助けてもらうことへの申し訳ない気持ちや人と同じことが出来ない自分への劣等感が入り交じり、嫌悪感と罪悪感で自分を苦しめていた。人の助けを借りずに生きていけることが自立だと思っていた。金銭的にも、物理的にも。だから、そんな「人の助けを借りないと生きていけない自分」=「自立出来ていない自分」は、「自分はこの世に必要な人間じゃないんだ、じゃまな人間でしかないんだ。」と思い込み、必死になって健常者と同じ事をしよう、それを追い越そうと頑張りすぎていたように思える。

「優生思想」も他人事ではない。子の世代に遺伝する私自身のこの病気は、世の中に在ってはならない遺伝子だと、そう思っていた。だから、自分もあってはならない遺伝子を持った必要のない人間だと。骨の折れる病気なんて、この世にあっちゃいけないと。そんな自分もあってはならないと。

今では、そういう想いが全くないかというと、そうでもない。そういう想いが沸々とわいてくることもある。ふっとした事柄でわき上がってくることもしばしばある。そういう思考のループが始まったら、切断できるようになってきたので、いつまでも凹んだ気持ちを引っ張り続けることはなくなったけどね。でも、先日、本気で体の調子悪くなったときは、流石にこういうループに陥ったのできつかった。

こういう時は、友だちの存在って大切だよなってそう思う。先日のアースディの時にしろ、いろいろと気にかけてくれたことが、嬉しく感じた。人と会うことで自分の存在というものが感じられた。


安積遊歩さんのような生き方は好きだけど、あの人のように、自分と同じ病気の子どもが生まれることを知りながら生んでしまうような「優生思想」を根本から覆すような論理が自分の中に生み出せるかというのは、正直、かなり難しいと思う(障害とは別の意味での個々の倫理観とかも絡んでくると思うし)。

でも、人と違うこと、そして、そういう体で生まれたことに対しては、誇りに思いたいと思うし、その姿を「ありのままに」に生きていきたいとそう思う。自分は、自分でしかないのだから。そして、それには意味があることなのだから。だから、そのことを大切にして生きていきたい。

安積遊歩さんのインタビュー記事 
     → ふらっと人権擁護ネット内 前篇 後篇

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