2007年05月20日

エンデの遺言

20日は、先日アースディ東京2007で出店した「お金のいらない国」カフェのスタッフなどをもう一度集めて、アフターミーティングというか今後に向けて歩むべく〆のためのミニイベントをやりました。もう一度、「お金」の問題点を考えてもらうため。そして、自分として何ができるか考えてもらうため。


なぜ、私が「お金のいらない国」という本絡みのイベントに積極的に関わっているか。「お金」に関して、ずいぶん、前から疑問に感じていたから。


私が「お金」というものに対して疑問に感じたのは、「お金のいらない国」だとかを最近に読んだからじゃありませんでした。5~6年も昔にNHKのBSでやっていた「エンデの遺言」というドキュメンタリー番組を見てからです。


ミヒャエル・エンデ。世界中で愛されている「モモ」や「はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)」でお馴染みの児童文学作家。私は「ジムボタン機関車大旅行」が好きだったけど、彼が晩年、NHKの取材陣に残した遺言をまとめたドキュメンタリー番組がこの「エンデの遺言」でした。

そこにはお金というものの問題点、そして、そこから抜け出す方法がいろいろな角度から紹介されていた。エンデは、かなり、早い時期から「お金」の問題に気が付き、経済学者などとも精通したりしていた。「モモ」の敵役「灰色の男たち」は、「時間泥棒」という役柄だけど、実は「お金」そのものの問題点と解決方法を示した物語でした。


今の「お金」というものは、一部の”権力者”の思うがままになっている。その価値もその”権力者”が決めたことに過ぎず、アフリカなどで貧困が起きているのも、はっきり言って、富を”権力者”に集中するために仕掛けた罠でもあり、それがまた、自らを破壊への道を歩ませていることにもなっている。

自分が明日ご飯が食べられるかどうかは、この”権力者”の思うがままなのです。


なぜ、銀行に預けたり借りた「お金」に利子が付くのだろう。なぜ、銀行に預けただけのお金が増えたりするのだろう。コンピューターの中を走り回っている数字のみの世界で、どうやって「お金」が成り立つのだろう。なぜ、人件費や物価が世界各地で違うのだろう。同じ1kgの農作物を作るのに、日本とアフリカで費用が違うのはなぜだろう。片方では数万円とすることもあるに、片方では、1粒1円にもならないことすらある。同じ人間が作っているのに、なぜ、違う?

何もないモノから「金」を作り出そうとする”錬金術”こそが貨幣システムの根源。その”錬金術”とは、アフリカなどの国々の人々から彼らが生きるために必要な労働力やモノ、土地などの財産の全てを接収し、木、水、土などと言ったあらゆる自然の恵みに人間が勝手に価値を付けて全てを奪いさり、「お金」に付加させて増やしているに過ぎないっていうこと。それが自然破壊に強く繋がるっているっていうこと。


その巨大なお金のシステムからどうやって抜け出すか、抜け出していけばいいか、、、、、この「エンデの遺言」ではいろいろと紹介されていました。

この番組がNHK・BSで放送されてから「貨幣システム」から抜け出し、人と人を心で結びつける「地域通貨ブーム」が日本でも起きた。実は、私もそれに乗っかった一人でした。「レインボーリング」という通帳でやりとりを行う交換リングタイプの地域通貨に入ったり、地域通貨の勉強会みたいなのを友だちと開いたりもしたし「地域通貨」を作るプロジェクトを立てようと思ったこともありました。


この日のミニイベントでは、お金に纏わるいくつかのビデオを見た後、みんなで分かち合っていったけど、地域通貨なども含めてやっていける方法はいくつもあるんじゃないかと盛り上がっていきました。

農業にしろ何にしろ、まるで「必ずお金が必要だ」と頭の中にすり込まれて、私たちは生きているけど、これも罠だっていうこと。実は、お金なんて必要なくても、生きていける方法はいくつもあるっていうこと。たぶん、みんな、そういうことを考えていないだけ。考えようとせず、見て見ぬふりしているだけのような気がします。

六ヶ所村などの公共事業の話にしろ、ホームレスの問題にしろ、老後の問題、過疎地の問題、貧困の問題など、「お金がないと生きていけない」という根底があるから、こういう問題が後を絶たないように気がする。様々な燃料施設や廃棄物貯蔵庫、そして、これから本格運転が始まる核廃棄物処理場がある六ヶ所村の問題は、核に頼り切っている今の「エネルギー問題」もあるのだけど、「経済破綻」した結果がもたらしたものだとも私は思っている。経済破綻をしてしまった村を立て直すため手を出したのが、こういう核施設だったのだから。

もし、「お金がないと生きていけない」という部分をみんなで断ち切ることをしていけば、こういう問題も起きなくなるんじゃないかってそう思う。


今の「お金」は一人歩きしてしまっている。あまりに莫大で巨大なシステムの中で、実は誰もよくわかっていないし、誰もコントロール出来ていないんじゃないかってそう思う。巨大な化け物。もちろん「お金」が悪いわけではない。道具としては立派なものなんだろうけど、心を失った道具は、人を傷つける道具にしかならない。そして、そうしてしまったのは「人」の心であり、それを変えて行くも、やはり「人」の心。「お金」を「人と人を結びつける心の道具」に変えていくのも自分次第だし、自分が変えていくことをしないとならないっていうこと。そのことを改めて実感した。


エンデの代表作、「モモ」のラストでは、敵役の「灰色の男たち」は、時間銀行の崩壊と共に追い詰められ、最後には「もう、これで良いんだ。終わったんだ。」と、ゆっくりとうなずきながら灰色の肌が人肌の色に変わり、そこから消えていく。

時間に追われるように毎日生き、それに囚われてしまって、自らも「人間」であることを忘れた「灰色の男たち」。その心もまた、ズタズタに壊れてしまっていた。だから、肌色が温かい血の気を帯びた色ではなく、白(善)でもない黒(悪)でもない「灰色」になっていた。そして、最後は癒され、心を取り戻し、人肌の色に戻って消えていった。

時間=お金 とすれば、今の世の中、そのものだと思う。その肌色を人肌のピンク色に染めるか、灰色に染めるか、それは、私たち次第なのだと、そう思う。

エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」
エンデの警鐘「地域通貨の希望と銀行の未来」」
モモ

このWebに、エンデのこと、エンデの本の考察、地域通貨など、いろいろと書いてあります。
http://www.tradition-net.co.jp/door/kako.htm
でも、このWebがあるのは、金融機関の情報ネットワークです(経済関係者はエンデのことを認めているということでもあります)。

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きのうくんちゃんが、経済が付加したよ♪

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